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【一筆多論】9・2、占領軍から国家と国民の尊厳を守った知られざる闘い 渡辺浩生

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 毎年この時期になると、終戦直後の横浜で、占領軍から日本の国家と国民の尊厳を守った官僚たちの存在を思い起こす。

 米ミズーリ号艦上で降伏文書が調印された昭和20(1945)年9月2日夕、横浜に進駐して間もない占領軍の総司令部が置かれた横浜税関の一室。マーシャル参謀次長が鈴木九萬(ただかつ)横浜終戦連絡委員長=当時(50)=と向き合った。

 「明朝布告を出す」

 外交官で戦中は捕虜や抑留者に関する交渉に従事した鈴木は、重光葵(まもる)外相に占領軍との折衝役を任じられたばかり。政府の関心は、ポツダム宣言では読み切れない占領統治の方針にあったが、鈴木の前にいきなりそれが突きつけられた。

 本人がこのときの模様を記したメモが手元にある。「布告とは重大だ。明日を待たず今見せてほしい」

 差し出された3つの布告は、マッカーサー連合国軍最高司令官名で(1)「行政・立法・司法の権能は最高司令官のもとに行使される」(2)「占領政策の違反者は軍事裁判で処罰」(3)「米軍票を法定通貨とする」という衝撃的内容だった。

 「英語を公用語にする」との文言もある。直接軍政を敷き、通貨発行を含む政府の権限を奪うに等しい。鈴木は中止を要請した。

 「連合国は日本政府の存在を認めている。進駐が流血もなく円滑に進んでいるのは、国民が終戦の大詔を遵奉(じゅんぽう)し進駐軍に誠意を持って協力しているからだ」

 鈴木は布告を事前に見せてくれた礼をいうと、連絡委員会のある神奈川県庁に駆け、官邸に急報した。大本営横浜連絡委員会の鎌田銓一(せんいち)陸軍中将=当時(49)=にも相談した。

 鎌田は工兵科出身。米国留学中に米陸軍工兵第1連隊に入隊し、参謀総長だったマッカーサーと面会した。終戦後、北京から呼び戻され、連絡将校として占領軍先遣隊を厚木基地で出迎えた。鎌田は米軍のつてを頼りに、布告中止を陳情しようと同夜、総司令部の幕僚らが宿泊するホテルニューグランドを訪ねた。

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