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【正論・戦後73年に思う】わが生涯の教育と文化への疑念 新潟県立大学教授・袴田茂樹

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 ≪深い考察が生む密教的連帯感

 私たち戦後世代は、戦前のものは後(おく)れたもので悪いものとされ、名作も戦後の価値観で処理されて教えられた。古典は試験用知識を教えられただけで、それを本当に味わうことも優れた書物や芸術への感動も教わらなかった。

 ロシアや米国に数年住んだことがあるが、ロシアのある知人は「ハムレット」は三十数回読んだと言っていた。20世紀の初め、英国の知識人A・ベネットは、真の古典はそれを熱愛する少数者によって時代を超えて何世紀も守られるが、多くの人々は古典を敵視さえしている。それは「学校で教えられる」からだ。つまり、教育省や先生たちがよってたかってシェークスピアを若者たちの敵にすべく大汗をかいているからだ、と皮肉っている(『文学趣味』)。

 国外留学の時代に優れた知人、友人たちの影響を受けて私も古今東西の古典や芸術を少し嗜(たしな)み、人生や社会の本質的な事柄について多少考えるようになった。その後、数十カ国の人たちとさまざまな交流を続けてきたが、あることに関して確信をもつようになった。それは、本質的な事柄について突き詰めて考えたことのある人々は、民族や宗教、国や年齢が異なっていても、また立場や見解を異にしていても、少し突っ込んで話せば、密教ではないが「同じ仲間」としての連帯感を持てる、ということである。「あの問題でこの人も相当もがいたな」とお互いに直観で分かるからだ。

 日本のある会議で米国の人権問題の権威P・ジュビラー教授と2人で昼食をしながら話す機会があった。人権や自由と国家権力の関係について、見解が異なっていて議論になったのだが、例えば自由と権威については、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官」の物語、フロムの『自由からの逃走』などが話題になり、ルターの『現世の主権について』における権力観と新約聖書のロマ書の記述、イスラム教や儒教と自由といった事柄が2人の口から自然に出た。

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