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【正論】大戦の検証通じ日本の姿考える 学習院大学学長・井上寿一

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 ≪早期終結の戦略はなかった

 ところが暫定協定案に対するアメリカの返答はハル・ノートだった。アメリカにとってハル・ノートは最後通告ではなかった。交渉の余地は残されていたものの、日本は11月末までに外交交渉でまとまらなければ、12月初旬の武力発動を決めていた。ここに日本は対米開戦に踏み切った。

 真珠湾の奇襲攻撃は成功する。問題はそこからだった。

 陸軍省戦備課長の岡田菊三郎大佐(当時)は戦後、次のように指摘している。「初めからハワイを奇襲したついでに、なぜハワイを取ってしまわなかったのか」。ハワイを占領すれば、それをてこに戦争終結をめざすことができた。

 岡田は重ねて言う。「あのとき一挙にハワイをすぱっと取ったら、だいぶ異なった情勢が生まれたのではないか」。しかし実際には予防戦争としての早期終結の戦略はなかった。

 真珠湾攻撃から約半年後、日本はミッドウェー海戦で敗北する。2カ月後から始まったガダルカナル島攻略作戦では壊滅的な打撃を受けた。それでも日本は戦争を続ける。

 どこかで決戦を挑み、戦果を上げて和平に持ち込まなければならなかった。しかし陸海軍の戦略の統合が進まず、決戦の天王山は移動した。

 先の大戦で最大の犠牲者が出たのは、戦争の最後の年である。前年までに戦争が終結していれば、東京大空襲も沖縄戦も広島・長崎の原爆投下もソ連の対日参戦もなかった。しかし和平構想を持たずに戦争を始めた日本は、1944(昭和19)年までに戦争を終結することができなかった。

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