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【別府育郎のスポーツ茶論】ドーハからカタールへ 

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【別府育郎のスポーツ茶論】
ドーハからカタールへ 

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 プロ化後の日本人監督としても次のW杯まで4年の任期を与えられた初の本格契約である。

 岡田、西野は前任者の成績不振や急病による緊急避難であり、加茂周も前任者ファルカンの解雇で代表監督のお鉢が回った。それだけに、森保にかかる期待は大きく、責任は重い。

 長崎の無名の高校生だった森保をプロに誘ったのはサンフレッチェ広島の前身、マツダの総監督を務めた今西和男である。オフトをマツダ監督に招聘(しょうへい)したのも今西であり、オフトは森保を重用し、代表選手に抜擢(ばってき)した。

 加茂の代表監督時代、協会強化委員会が途中解任に動き、後任選びに奔走したことがある。委員長の加藤久はネルシーニョを、現会長の田嶋幸三は名古屋の監督だったベンゲルを推し、副委員長の今西はオフトの返り咲きを主張した。

 一度はネルシーニョに決定しかけたが、当時の会長、長沼健ら協会幹部の反対で急転し、加茂の続投が決まったと記憶する。後にW杯最終予選の不振で加茂は解任され、岡田が指揮権を引き継いだ。

 3氏の誰かが代表を率いていれば日本のサッカー史は変わっていたか。歴史に「たられば」は存在しないが、若い森保の代表監督就任は今西やオフトのリベンジのようにも映るのだ。

 もちろん、経営難の広島を率いて4年間で優勝3度の見事な実績は森保自身のものだが。

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