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【日曜に書く】後世に残る日本代表の戦い 語り継ぐ大切さを考える 論説委員・佐野慎輔

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 かつて走り高跳びの名選手であった曽根幹子・広島市立大教授が戦没オリンピアンを追跡、37人の存在を調べあげた。24年パリ大会競泳代表の斎藤巍洋を別格に、その大半はロスとベルリンの出場者であった。

 そこに3人のサッカー選手の名がある。竹内悌三、右近徳太郎、松永行。あの「ベルリンの奇跡」のメンバーである。

 1936年8月4日、日本代表は優勝候補筆頭といわれたスウェーデンと対戦した。

 実力にたがわずスウェーデンが前半で2点をリードした。ところが、後半開始4分、日本が1点を返すと流れが変わった。後半17分で同点、そして40分、勝ち越しの1点が入った。

 くしくも82年後の試合と逆の展開。同点ゴールが右近、勝ち越しは松永だ。虎の子の1点を守り抜いたのが竹内主将を中心としたバックス陣。日本サッカー初の国際大会勝利である。

 「翌5日のベルリンの朝刊新聞は、『奇跡の逆転劇』『サッカー・ショック』などさまざまな見出しで、…でかでかと報道した」。当時のメンバーで後に早稲田大ア式蹴球部監督も務めた堀江忠男は『わが青春のサッカー』に書いている。

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