PR

ニュース コラム

【オリンピズム】嘉納治五郎と幻の東京大会(14)相次ぐ難題に準備進まず

Messenger

 さらに陸軍省の決定が追い打ちをかけた。「100年史」には、8月25日に馬術選手の準備中止が発表された-とある。東京大会の馬術代表には、ロサンゼルス大会金メダルの西竹一、ベルリン大会代表の岩橋学ら現役の将校7人が決まっていたが、陸軍は時局を考慮して馬術訓練の中止を決めたのだ。日中戦争は収まる気配もなく、建設資材不足もあって会場建設のめども立たない状況が続いた。

 国内外で東京への風当たりが強まる中、逆風に挑んだのが嘉納治五郎だった。38年3月、「東京大会」が問われるIOCカイロ総会に、77歳の嘉納は決死の覚悟で臨む。「今回の会議は相当紛糾するだろうが、必ず開催するという信念のもとに堂々と押し切るつもりである」と。この「信念」によって何とか大会返上には至らなかったものの、苦しい胸の内も明かした。

 「幸会議は好都合に終了いたし候へ共、将来色々の問題に逢着する事に相成、今日より切り抜け方に苦慮致し居候」。大日本体育協会会長の下村宏にあてた手紙だ。「スポーツを通じた相互理解」を説いた嘉納は、東京大会の開催が孤立を深める日本にとっての希望ととらえていたかもしれない。しかし、時間は残されていなかった。

 巨星墜(お)つ-。カイロ総会からの帰途、太平洋上で急逝、5月4日のことだった。=敬称略(監修 真田久筑波大教授 構成 金子昌世)

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ