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【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】(25)日本の官憲に朝鮮語奨励 国境警察隊の8割は日本語理解せず

朝鮮の国境警察隊。朝鮮語が不可欠だった
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 先週書いた、朝鮮北部の国境警察隊の映画『望楼の決死隊』(昭和18年、今井正監督)の思い出は、朝鮮総督府の元キャリア官僚で戦後、埼玉県警本部長や大分県副知事を歴任した坪井幸生(さちお)(大正2年生まれ)も書き残している。

 《国境地帯では、百人近くの警察官が一つの駐屯地に集団で駐在していた(略)隊員は当番となり、二、三人の班を組んで戸口調査をし…情報を集めるのが常務であった、使う言葉は朝鮮語であり、朝鮮語ができなければ話にならなかった》(「ある朝鮮総督府警察官僚の回想」から)

 映画の中に、住民の説明会で日本語とハングルを併記して板書するシーンが出てくる。終戦前には普通学校(小学校)の就学率は50%を超え、日本語を解する朝鮮人の割合は年々増加していったが、全体から見れば「日本語ができる朝鮮人」はわずか15・6%(昭和15年、朝鮮総督府統計)にすぎない。終戦間際でも2割前後。特に、年配者や女性は低かった。

 日本語が分からない朝鮮人に対処するためには、日本人警察官の方が朝鮮語を勉強した。再び、坪井書に拠(よ)る。《(警察官志願者の)講習所で朝鮮語の教育をしなければならなかった。教習科目のなかでも、朝鮮事情とともに朝鮮語は重要視されていた》

 警察官だけではない。総督府は地方官吏を中心に朝鮮語習得を奨励し、「熟達せる者」に対しては手当まで支給している。

 坪井は、こうも書いている。《当時の朝鮮人の日常の市民生活では、当然のこととして朝鮮語が常用されていた。(略)汽車の切符も煙草(たばこ)も朝鮮語で買えた。郵便局でも片仮名以外にハングルを使って電報を打つことができた。「朝鮮語の使用禁止」があったというのは、当時の実情を知らない者の虚報か、タメにする作り話であ》

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