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【オリンピズム】嘉納治五郎と幻の東京大会(11)有力候補ローマに勝つ秘策

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 「日本体育協会 日本オリンピック委員会100年史」には、IOC総会を1カ月後に控えた35年1月、IOC委員でもある副島道正は、やはりIOC委員でイタリア大使に転任していた杉村陽太郎とともに、イタリア首相官邸に赴いた-とある。ムソリーニに、ローマの立候補取り下げを要請するためだった。

 重要な任務を帯びた二人だったが、直前に副島が急病に倒れてしまう。それでも高熱に侵されながら会談に臨んだ副島。窮地をチャンスとすべく必死に説得を試みた杉村…。そんな熱意に応えるように、ムソリーニは辞退を受け入れる。このとき杉村が外相の広田弘毅にあてた公電には「44年大会をローマで開催してくれるなら、40年の開催地は東京に譲る」といった内容が記されたという。

 これで「東京開催」は決まったはずだった。ところが、2月のオスロ総会は混乱に陥ってしまう。ローマが立候補を表明したからだった。最終的にはムソリーニが改めて取り下げを指示し、辞退するのだが、欠席者による委任投票分が無効になってしまうこともあって、オスロ総会での開催地決定は見送られる。また、延期にはIOC会長のラツールの意向も影響していたという。IOCに断りなく、ローマに働きかけを行った日本を快く感じていなかったようなのだ。=敬称略

 (監修 真田久筑波大教授 構成 金子昌世)

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