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【産経抄】5月17日

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 「日本のウイスキーの父」と呼ばれた竹鶴政孝が、北海道余市町に会社を設立したのは、昭和9年である。社名は「大日本果汁株式会社」だった。竹鶴はまず、地元産のリンゴの果汁からジュース作りを始める。

 ▼「ウイスキーをつくる仕事は、何年か先を目標とする気長な事業である」「よい原酒を時間をかけて育てるのであるが、熟成するまで事業がもちこたえるかどうか」。竹鶴は自伝に書いている。ジュースが事業の支えとなった。待望のニッカウヰスキーの第一号は6年後に完成する。「ニッカ」は、大日本果汁の略、日果からとった。ただ原酒はまだ若く、ブレンドには苦労したらしい。

 ▼「時は流れない。それは積み重なる。」。サントリーの往年の名コピーである。確かにウイスキーは、原酒が熟成する、十数年に及ぶ時の積み重なりを味わう酒といえる。そのサントリーが、主力ウイスキーの「白州12年」と「響17年」の販売を休止するという。

 ▼ちょうど世紀の変わり目のころの日本といえば、焼酎類がもてはやされ、ウイスキー離れが起こっていた。原酒の仕込みは当然、控えめにせざるを得なかった。

 ▼ところが10年前から炭酸水で割る、ハイボールの人気が再燃する。さらに日本産ウイスキーの評価が国際的に高まって、ブームに拍車がかかった。チャンス到来とばかりに、すぐ増産に応じられないのが、ウイスキーの泣きどころである。

 ▼「わしの眼は10年先が見える」。戦前の実業家で社会事業家でもあった、大原孫三郎の口癖だった。そうはいっても、十数年先の出荷量の急増を予想できなかったからといって、誰も責められない。小欄など10年先を見通すどころか、10年前の記憶さえあいまいである。

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