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【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】(18)キリスト教と音楽家の平壌 金日成や永田絃次郎の足跡

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【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】
(18)キリスト教と音楽家の平壌 金日成や永田絃次郎の足跡

北朝鮮の朝鮮人民軍創建70周年慶祝閲兵式を終えて平壌市内を回る兵士たち。後ろには凱旋門が見える =今年2月(朝鮮中央通信=朝鮮通信) 北朝鮮の朝鮮人民軍創建70周年慶祝閲兵式を終えて平壌市内を回る兵士たち。後ろには凱旋門が見える =今年2月(朝鮮中央通信=朝鮮通信)

 その長老派が、1897年に平壌につくった「崇実(スンシル)学堂」という学校がある。後に、中学校、専門学校(ともに旧制)へと発展、有能な多くの朝鮮人の若者を送り出すことになるが、とりわけ、音楽分野には逸材が多い。韓国の「国歌」と位置づけられる愛国歌を作曲した安益泰(アン・イクテ)は、大正7年に崇実中学に入学、3年後に東京の正則中学に移っている。さらには、韓国初となる高麗交響楽団の創設者、玄済明(ヒョン・ジェミョン)や平壌交響楽団の前身・中央交響楽団をつくった金東振(ドンジン)。

 そして、「日本一の美声」とうたわれたテノール歌手の永田絃次郎(本名・金永吉(ヨンギル)、1909~85年)も崇実の出身だ。永田は昭和3年、内地の陸軍戸山学校音楽隊の軍楽生徒として入学。首席の“銀時計組”で卒業した後、11年、オペラ・蝶々(ちょうちょう)夫人でソプラノ・三浦環(たまき)の相手役(ピンカートン役)に抜擢(ばってき)された。戦後は藤原歌劇団などで活躍し、35年、帰国事業で北朝鮮へ渡っている。このとき、帰国事業の「広告塔」として、永田に目をつけたのが、“同郷・同世代”の金日成だった。

 実は、金の一族は3代にわたって「芸術好き」である。孫の朝鮮労働党委員長・金正恩(ジョンウン)が平昌五輪を利用して、芸術団を派遣したことは記憶に新しいが、祖父は北朝鮮建国直後から「世界一流の音楽家を集めよ」と大号令をかけ、国立の交響楽団・合唱団をいち早くつくっている。その長男・金正日(ジョンイル)も、映画や音楽、演劇に入れ込み、妻たちは女優や舞踊家だった。

 永田にあこがれ、平壌から後を追うように日本に渡ってきたのが、紅白歌合戦に3度出場した人気歌手の小畑実(おばた・みのる)(1923~79年、本名・康永●(カン・ヨンギル))である。苦労を重ねた末、小畑は「湯島の白梅」「勘太郎月夜唄」などのヒット曲を次々に飛ばし、スターの座に駆け上がってゆく。

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