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【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】(18)キリスト教と音楽家の平壌 金日成や永田絃次郎の足跡

北朝鮮の朝鮮人民軍創建70周年慶祝閲兵式を終えて平壌市内を回る兵士たち。後ろには凱旋門が見える =今年2月(朝鮮中央通信=朝鮮通信)
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 北朝鮮の首都・平壌の牡丹峰(モランボン)地区に、パリの凱旋(がいせん)門よりも10メートル高いのが自慢の巨大なモニュメントがそびえ立っている。「1945」の数字は、初代最高権力者・金日成(キム・イルソン)がこの街へ凱旋してきた年を指す。

 終戦の年の10月14日、金が初めて朝鮮の民衆の前に姿を見せたことは以前(11回)書いた。その場所がこの近くにあった平壌府の総合運動場で、「実際に金の演説を聴いた」という男性(88)がいる。当時は平壌の旧制中学3年生、15歳の朝鮮人少年だった。

 「朝鮮人の住民組織から呼集がかかったんですよ。『キム・イルソン将軍の凱旋演説会』が行われるから皆、参加するようにとね。運動場には公設プールがあってよく水泳を習いに行った場所だった。会場には、数千人から1万人近い聴衆が集まっていたかな」

 聴衆は、伝説の抗日将軍「キム・イルソン」の登場を心待ちにしていた。ところが演壇に上がったのは、30歳そこそこの若い男。

 「トョーハダ」。平壌がある平安道の方言で、おかしいぞ、というささやきが聴衆から漏れたかと思うと、次第に会場はざわつきはじめ、「カチャ(偽物)ヤ」の叫び声が…。

 「(金日成は)日帝の支配からの解放や新たな国づくり、ソ連(当時)軍の功績などについて話したと記憶しているが、どうみても若すぎるって周囲の大人らが騒ぎ出したんだ」

 ◆「芸術好き」金一族

 平壌は、李朝時代から政治・経済の中心都市だった京城(旧漢城)とはいっぷう違った文化を持つ街だった。李朝末期の19世紀からキリスト教が浸透し、欧米の宣教師によって多くの教会やミッションスクールがつくられ“東洋のエルサレム”と呼ばれたことも。平壌生まれの金日成の母親もキリスト教徒で、その父親(金日成の母方祖父)は、プロテスタント長老派の牧師だったという。

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