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【オリンピズム】嘉納治五郎と幻の東京大会(6)成長を実感できたパリ大会

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 五輪初出場を果たしたストックホルム大会からの2大会は遠く世界のレベルに及ばなかった陸上競技で、成長を実感できたのが1924年のパリ大会だった。5000メートルに出場した岡崎勝男が決勝に進むと、三段跳びの織田幹雄は6位に食い込み、日本陸上界初の入賞を果たす。「日本体育協会 日本オリンピック委員会100年史」には、将来の日本スポーツ界を見据えて見学員として派遣された佐藤信一の興奮した言葉が収められている。

 「わが日本の陸上競技史上、さん然たる光彩を放つものである。これが踏み台だ。これが第一歩だ。過去はいうまい、将来の光明を望もう、そして一歩一歩確実に歩武を進めていかねばならない」

 さらに、20年アントワープ大会で日本初のメダルを獲得したテニスに続き、レスリングフリースタイルフェザー級で内藤克俊が銅メダル。「100年史」によると、大会前に捻挫していた人さし指の関節に加え、3回戦で首と腕を痛め、医師に欠場を勧められながらの快挙だった。競泳では高石勝男が男子100メートル自由形と同1500メートル自由形で5位に入賞。800メートルリレーは4位に入り、100メートル背泳ぎでも6位入賞者を出し、「競泳ニッポン」への第一歩を踏み出したのもパリ大会だった。

 関東大震災からの復興を後押しするような日本勢の活躍に、パリへの選手派遣を決断した嘉納治五郎ら大日本体育協会関係者は胸をなで下ろしたことだろう。そして、パリでの経験はさらに大きな果実となって4年後のアムステルダム大会で実る。三段跳びで織田が日本人初の金メダルを獲得するのだ。織田にとって、まさに成長の糧となった大会だった。外国勢との実力差を目の当たりにした織田は「練習方法やフォームを大いに勉強してやろう」と積極的に外国選手に交じって練習した。また記録と勝負は別物-という教訓も得る。独特の雰囲気に包まれる五輪では、自分の力をいかに出し切るかが重要だと気づかされたのだった。

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