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【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】(17)京城はなぜ100万都市に 「泥濘」から発展した日本人街

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 日韓併合直後に25万人前後だった京城府の人口は市域の拡張もあって倍々ゲームで膨れ上がり、総督府の昭和17年末統計では約111万4千人(朝鮮人約94万1千人、日本人約16万7千人)の大都市に成長する。朝鮮全体の増加率は2倍強だったから、京城への集中がよく分かる。

 日朝の近代化の差はどこにあったのだろうか。ひとつは儒教の「受容度の違い」だった気がしてならない。李朝500年間にどっぷりつかった朝鮮では、儒学の勉強に勤(いそ)しみ、科挙(官吏登用試験)に合格した者が最上位であり、武人や医者・技術者など実学に携わる者は低く見られ、労働や商行為は蔑まれた。

 京城の商業の中心が鐘路から本町へ移っていったことを、姜在彦は「ソウル」の中でこう書いている。《長い間の町人文化の中で鍛え抜かれた日本人商人との競争で敗北した…》と。

 ただし、私は李朝の王宮(景福宮)正面を遮るように西洋式の朝鮮総督府を建てたり、各地に神社を設けたりしたのはやりすぎだったと思う。90歳に近い朝鮮の古老は「日本統治で朝鮮人が最も拒否感をもったのは、神社参拝と宮城遥拝(ようはい)だった」と打ち明けている。

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