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【オリンピズム】嘉納治五郎と幻の東京大会(5)震災でスポーツの灯を消せない

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 12年ストックホルム五輪に2選手を派遣して始まった日本の五輪参戦は、続く20年アントワープ五輪で15選手となり、テニス男子シングルスの熊谷一弥と、同ダブルスの熊谷、柏尾誠一郎組が初めてのメダル「銀」に輝く。手探りだった五輪参戦が、世界との実力差を感じとれるまでになっていただけに、パリへの参加は何としても実現したかったのだろう。

 震災後の決議通り、23年内に五輪派遣選手第1次予選会、翌年には第2次予選会が開催された。その結果、19選手が派遣されるが、この代表選手の中には、28年アムステルダム五輪男子三段跳びで、日本初の金メダルを獲得する織田幹雄も含まれていた。選手団を乗せた香取丸が神戸港を出港したのは24年4月27日。長い船旅で体力を低下させてしまった過去の苦い経験を踏まえ、船内に練習用マットや鉄亜鈴、円盤などを持ち込んだ。さらに途中、上海や香港、シンガポールなどで下船しては外国人との交流試合や練習にも励んだという。

 こうして40日を超える船旅ののち、6月7日にパリに到着。陸上競技とレスリングの選手は、この大会から設けられた「オリンピック村」に入った。大会後にマンションなどとして活用される現在の選手村施設とはほど遠く、合宿所のようなものだったようだ。日本勢は陸上、水泳、レスリング、テニスの4競技に参加して7月5日、開会式を迎えた。=敬称略(監修 真田久筑波大教授 構成 金子昌世)

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