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【産経抄】4月30日

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 「文楽の歴史上、甲子園の土を踏んだんは、わしだけや」。先週末、93歳で亡くなった人形浄瑠璃文楽の竹本住太夫(すみたゆう)さんの自慢である。

 ▼野球部にあこがれて大阪の名門浪商に入学したものの、100メートル走の試験で落とされて入部はかなわなかった。大阪専門学校(現近畿大学)に進んで、ようやく補欠のキャッチャーながら、全国大会の近畿地区予選に出場して夢を果たす。

 ▼養父は人間国宝の六代目竹本住太夫。本人も幼い頃から、太夫にあこがれていた。ただ文楽の世界には、世襲も家元制度もない。不遇時代が長かった父親は、「学校に行け」の一点張りだった。戦局が激しくなった昭和19年、出征の歓送会で住太夫さんは「寺子屋」を語った。「そんだけ好きやったら、帰ってきて太夫になれ」。その時初めて父から許しが出たという。

 ▼「へたくそ~」「いつになったら、覚えるんじゃ!」。テレビのドキュメンタリー番組で、住太夫さんが弟子に稽古を付ける場面を見て、震え上がった記憶がある。人呼んで「稽古の鬼」。住太夫さんが通ってきた道でもあった。

 ▼復員後、21歳で太夫として遅いスタートを切る。しかも本人いわく。「根が不器用で、覚えも声も悪い」。怒鳴り散らす先輩たちに、必死に食らいついていくしかなかった。住太夫さんによれば、芸の上でもっとも大切にしている「情」が深まってきたのは、60歳を過ぎてからだ。人間国宝になっても、百点満点にはほど遠い。しばしば兄弟子のもとを訪れて、教えを請うた。

 ▼89歳で引退してからも、講演や執筆活動で、文楽の魅力を語り続けた。終わりがない芸の道を歩み続ける後輩たちと、それを見守る観客がいるかぎり、文楽が廃れることはない。そう、信じながら。

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