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【産経抄】4月10日

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 東京五輪を4年後に控えた昭和35年、サッカー日本代表の強化が急務だった。当時の西ドイツからコーチとして招かれたのが、35歳のデットマール・クラマーさんである。

 ▼来日するや、代表チームが合宿している日本旅館に入り、畳の部屋で寝て、みそ汁をすすった。ホテル暮らしでは、選手の気持ちがわからない、というのだ。ミーティングでは、「大和魂」や剣道で使われる「残心」といった日本語が次々に飛び出した。日本について書かれた本で、猛勉強してきたらしい。

 ▼練習では、基本を徹底的にたたき込んだ。その成果が、8年後のメキシコ五輪銅メダルの快挙に結びつく。「日本サッカーの育ての親」とたたえられるゆえんである。選手との絆の強さを示すエピソードが残る。単身赴任だったクラマーさんの夫人や子供を東京五輪に招待しよう。選手が教え子たちにカンパを呼びかけ、家族そろっての来日が実現した。

 ▼その後も多くの外国人の指導を受けてきた日本のサッカーの歴史のなかで、前代未聞の出来事である。W杯ロシア大会開幕の2カ月前という大事な時期に、日本代表のバヒド・ハリルホジッチ監督の解任が決まった。その采配にはかねて批判の声が強かった。選手の信頼も失っているとなれば、仕方あるまい。

 ▼ただ代表チームの成績不振の原因は、監督の選手起用や戦術の失敗だけではあるまい。もっと根が深いのではないか。3年前に90歳で亡くなったクラマーさんは、バイエルン・ミュンヘンを欧州王者に導いた実績もある。名将は、日本のサッカーの弱点を指摘し続けていた。

 ▼「第2のカマモトを育てていない」。メキシコ五輪で得点王になった、釜本邦茂選手のような名ストライカーの不在を嘆いていた。

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