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【正論】明治の精神的苛烈さは廃れたか 文芸批評家、都留文科大学教授・新保祐司

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【正論】
明治の精神的苛烈さは廃れたか 文芸批評家、都留文科大学教授・新保祐司

文芸批評家、都留文科大学教授・新保祐司氏(瀧誠四郎撮影) 文芸批評家、都留文科大学教授・新保祐司氏(瀧誠四郎撮影)

 大佛次郎は、その前で「サンソムが、なぜ松陰が同時代人の心に強い影響力を及ぼしたのか外国の研究者にはほとんど理解しにくいと言ったのは当然なのである」とした上で、「日本人ならばこれが解(わか)るとも最早言いえないのである」と恐るべきことを指摘した。これは、昭和45年頃の執筆である。

 日本人の歴史学者そのものが「サンソム」化していきつつある現在、また「外国人」のような日本人が増えてきつつある今日、ますます松陰の精神について「これが解るとも最早言いえないのである」という事態になっているのではあるまいか。今日世上に見られる松陰についての見当外れの見方は、何か政治的な底意も感じられるが、根本的には、このような無理解が原因のように思われる。

≪歴史と思想の「坩堝」に飛び込め≫

 大佛次郎の『天皇の世紀』を高く評価した小林秀雄が、ちょうど大佛次郎が上記のように書いた頃、江藤淳との対談で吉田松陰について語っていた。昭和46年に行われた対談には、昭和45年11月25日の三島由紀夫の自決をめぐって激しいやりとりがある。小林は「三島君の悲劇も日本にしかおきえないものでしょうが、外国人にはなかなかわかりにくい事件でしょう」ととらえている。そして、江藤が三島について「一種の病気でしょう」と言ったことに対し「それなら、吉田松陰は病気か」と激する。「日本的事件という意味では同じだ」と言うのである。

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