PR

ニュース コラム

【オリンピズム】嘉納治五郎と幻の東京大会(1) 「アジア初」は信頼と尊敬の証し

Messenger

 嘉納とともに氷川丸に乗船していた外交官、平沢和重は「最後の十一日間といふものを文字通り起き伏しを共にした私は、(中略)心から東京オリムピックの成功を祈らざるを得ないのである」などと述べ、東京五輪への思いを強くしている。IOC委員からも逝去を悼むメッセージが相次ぎ、東京五輪支援の輪は広がっていく。欧米以外では初の五輪、東京招致決定は嘉納に対するIOC委員たちの信頼と尊敬の証しだった。そんな思いとは裏腹に、逝去から2カ月後、東京大会の返上が決まる。

 戦後、日本が再び五輪招致に挑んだ際、嘉納の人脈は大いに生きた。IOC会長には親しかったブランデージが就いており、59年のミュンヘンでのIOC総会で東京招致の最終演説を行ったのは氷川丸で最期をみとった平沢だった。

                  ◇

 「幻の東京五輪」と呼ばれる1940年東京大会。圧倒的に不利な状況の中、「柔道の父」として知られる嘉納治五郎は世界を駆け回って招致を成功に導く。嘉納はなぜ五輪にこだわったのかを追う。=敬称略(監修 真田久筑波大教授 構成 金子昌世)

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ