PR

ニュース コラム

【スポーツ茶論】オオタニが米球界を黙らせる日

アスレチックス戦で6回を投げ終え、ベンチでチームメートらと笑顔でハイタッチするエンゼルス・大谷翔平=1日、オークランド・コロシアム(リョウ薮下撮影) 
Messenger

 “みちのく”の岩手県奥州市に「胆沢城」跡地がある。近くを流れる胆沢川の南側に平安時代の延暦21(802)年、北方民族を“征討”するため、朝廷が征夷大将軍の坂上田村麻呂を派遣して築かせた城だ。

 筆者の実家から約10分の所に位置し、当時多くの軍馬のいななきが聞こえたであろう川沿いの軍事の要衝は今、雑木林やリンゴの木などがあるだけの牧歌的な土地だ。この一帯こそ、大リーグ・エンゼルスの大谷翔平を生んだ場所である。

 少年時代の大谷のチームの指導者は、左打者ながら左翼に本塁打を量産できる大谷の秘話を次のように語ったのを人づてに聞いたことがある。「彼は右翼後方の胆沢川に次々と本塁打し、球をよくなくした。球は高価で、悲鳴を上げると、今度は川がない左翼へと飛ばす術を覚えた-」

 左翼に“流して”ではなく、“引っ張って”本塁打を放つといわれる「大谷打法」の原点といえる。

 ニューヨーク赴任中の数年前、米国の球場を訪れた元広島の小早川毅彦氏は大谷についてこう話してくれた。「彼のすごさは(投手で忙しく)打撃練習が圧倒的に不足しているのに、打てること」。天才なのだろう。

続きを読む

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ