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【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】(12)文武両道の京城師範 日朝ラガーで達成した3連覇

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【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】
(12)文武両道の京城師範 日朝ラガーで達成した3連覇

 中学は、主に日本人が通う中学校と朝鮮人が通う高等普通学校、さらには内鮮共学校など多数の学校があった。中でも、京城中と龍山中はライバル関係にあり、上級学校へのエリートコースである京城帝大予科への進学者数でも、しのぎを削っていた。

 龍中25期生で昭和20年に城大予科(理科)へ進んだ山田卓良(たかよし)(89)は、「両校の違いは居住地によるところが大きかった。(陸軍第20師団司令部などがあった)龍中は軍人の子弟が多く、京中は、官僚や会社員の家庭が多い。よきライバルだったのは間違いないでしょうね」。野球の夏の甲子園出場回数では、京中5回(最高ベスト8)に対し、龍中は1回。戦後はともに韓国の名門高校となった。

 師範学校に高等女学校、実業学校…日本は、朝鮮各地に多くの中・高等教育機関をつくったが、戦後、個人的な関係を別にすれば、多くの学校で、彼我(ひが)の国同士の公式的なつながりはなくなってしまう。

 こうした中で、内鮮共学の京城旭丘中(公立)の日韓の同期生でつくった卒業アルバムに日本人卒業生の近況を知らせる写真や文章が掲載されているのは珍しいケースだろう。5期生の齊藤雄一(86)は、「(内鮮共学は)当時の国策だったと思う。クラスには何の差別もなく仲良くやっていましたよ。慰安婦像を建てては『反日』を掲げて騒ぐ今の方に、大いに違和感を覚えてなりません」=敬称略、日曜掲載(文化部編集委員 喜多由浩)

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