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【日曜に書く】論説委員・河村直哉 戦後、遠ざけられたもの

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 不幸な宣長受容

 江戸時代の国学者、本居宣長(もとおり・のりなが)は桜を愛した。

 『菅笠(すががさの)日記』は、奈良・吉野を訪ねた紀行文。道中、雨が降ると吉野の桜はどうなっているだろうと気をもむ。着いてみると花は盛りを過ぎていて、「かへすがへすくちをしき」などと、子供みたいでほほえましい。

 作品のよしあしは別として、おびただしい歌も詠んだ。歌文集『鈴屋(すずのや)集』に収められた「吉野百首」は桜を多く詠んでいるし、桜の歌三百余首を集めた『枕の山』という歌集もある。桜が咲くと聞けば「心は山に入にけるかな」などと、こちらも純真である。

 けれどもそのどれほどが知られているだろう。戦争と結びつけられたある一首だけが突出し、それゆえに戦後、他は顧みられなかったのではないか。

 流布している表記で引くと、「敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」。新渡戸(にとべ)稲造が『武士道』で引用し、この歌を武士道と結びつけた。戦争中、士気高揚の意図があらわな「愛国百人一首」にも入れられた。散る花と武人のイメージが重ねられたことだろう。

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