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【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】(11)「赤化・北朝鮮」に残された邦人 家族と引き裂かれ友は殺された

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 藤澤は半日で帰されたが、一緒に引っ張られた友人はいつまでたっても帰ってこない。やがてその友人が警察で殴り殺された、と人づてに聞き、藤澤は愕然(がくぜん)とする。「たかが子供のおもちゃですよ。素直に話さなかったのか、態度がよくなかったのか、事情は分からない…私も紙一重の命だったんでしょうね」

 満州との国境の街・新義州中(旧制)2年の太田房太郎(86)も、保安隊による銃撃事件に遭遇し、若い学生が殺されたところを目の当たりにする。後に「義挙(ぎきょ)事件」として知られることとなる、共産主義者に反発する朝鮮人学生が起こした蜂起事件だった。

 太田らは、事件の鎮圧にあたっていたであろうソ連兵に誰何(すいか)される。「トラックの上で機関銃を構えたソ連兵に『ストーイ(止まれ)』といわれ、日本人か、朝鮮人か、と聞かれたんです。たまたま学生服を着ていて学生証を持っていたので解放されました」

 だがこのとき、一緒にいた朝鮮人の保安隊員から日本語で「行け、だが後はどうなっても知らんぞ」といわれたときは、生きた心地がしなかったという。「若い学生を容赦なく撃ち殺したのを見ていましたから。命からがら家にたどり着き、両親の姿を見たときは張り詰めた緊張が一瞬にして解けたようでした」=敬称略、日曜掲載(文化部編集委員 喜多由浩)

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