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【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】(7)京城帝大の「終戦」 なごやかに引き継いだ日朝師弟

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 ただ、米軍が占領した朝鮮半島の南半分(現在の韓国)のように、終戦翌年にほぼ引き揚げができた地域はよかったが、ソ連(当時)軍占領地域(満州=現中国東北部や朝鮮北半分=現北朝鮮)は引き揚げが遅れたり、シベリア抑留によって大きなハンディを背負わされたりした。日本へようやく戻れたときには、受け入れてくれる学校がなく涙をのんだ人も少なくない。

 福岡の旧制中学、伝習館から昭和17年に城大予科(文科)へ入学した宮本弘道(94)は、法文学部在学中に入隊、終戦後4年間、ソ連に抑留され、ようやく引き揚げてきたときには、GHQ(連合国軍総司令部)によって旧制→現在の新制への学制改革が進められていた。「城大法文学部の先生が東大法学部へ移っていて声をかけてくださったが、今さら新制大学かと思い、行かなかった。戦争がなかったら、高等試験(現在の公務員上級試験に相当)を受けて官僚になっていただろうね」

 ◆朝鮮学生も悲痛の涙

 終戦時の城大の様子については多くの記録が残されている。「紺碧(こんぺき)遙(はる)かに-京城帝国大学創立五十周年記念誌」は、《終戦の日、教授・職員・学生約二百名が集まってラジオ放送をきいた。約百名の学生中、朝鮮人学生もいたが、ともに「君が代」を合唱し、敗戦に悲痛の涙をしぼった。しかしその翌日には、大学内の朝鮮人職員をもって「京城大学自治委員会」が結成され、朝鮮人学生も参加した。山家(信次)総長に学内の警備、文化財の保管責任の委譲を要求し、学内の室の鍵(かぎ)を求めた。十七日には大学の門に太極旗が掲げられ、表札には、新しく「京城大学」と書いた紙がはられ、医学部の表札からは「帝国」の二文字が消された》と記している。

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