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【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】(5)「外地初」となった京城帝大 豪華な教授陣と恵まれた設備

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 伝統的に「文科」優位の意識が強い朝鮮においては特に法文学部の人気が高く、高級官僚の登竜門であった法学科の昭和4~17年の卒業生数は、日本人350人▽朝鮮人339人とほぼ拮抗(きっこう)。高等試験(現在の公務員上級職試験に相当)に合格して、朝鮮総督府の官僚や判事・検事の道へ進んだ朝鮮人も多かった。ちなみに同時期の医学部卒業生数は日本人647人▽朝鮮人240人で、こちらは圧倒的に日本人が多い。

 内地から京城帝大を受験し、朝鮮建設に身を投じた日本人も少なくない。

 戦後、警察官僚となり、埼玉県警本部長、大分県副知事などを歴任した坪井幸生(さちお)は、大正2年生まれ。大分の中津中学(旧制)から京城の親類を頼って予科に入学、京城帝大法文学部法学科に進学し、昭和11年の高等試験行政科に合格。キャリア官僚として、朝鮮総督府に採用された。同期生は13人。うち朝鮮人は2人、出身大学は多くが東京帝大だったという。

 坪井が京城帝大の思い出を書き残している。《朝鮮における唯一の大学であり、全朝鮮の青年学徒の登竜門…朝鮮全域から数多くの俊秀が集中してこの予科の入学を志願して殺到した》《法(学)科の教授の陣容は充実していた…関係職員の数は在学生の総数をはるかに超えていたのではあるまいか。整備された物的設備と充実していた人的構成は、当時の他の大学にもあまり類例を見ない恵まれたものであった》(『ある朝鮮総督府 警察官僚の回想』から)

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