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【産経抄】
丸焼けのつれなく焼けしわが物 12月27日
「火事とけんかは江戸の華」。数多い江戸の火事のなかでも、もっとも被害が甚大だったのは、死者が10万人を超えた明暦の大火(1657年)である。「振り袖火事」とも呼ばれるのは、恋わずらいで亡くなった3人の娘の振り袖に由来する。
▼寺で供養の途中に火の中に投じたところ、強風で吹き上げられ、本堂の屋根に落ちて燃えた。これが火事の始まりというのは、後世の作り話である。実際の原因については、諸説あるらしい(『災害復興の日本史』安田政彦著)。
▼新潟県糸魚川市の大火の火元は、はっきりしている。ラーメン店の経営者が、中華鍋を火に掛けたまま自宅に戻り、店に帰ると火の手が上がっていた。もっとも、強風と密集した木造家屋が火勢を大きくしたという点では、江戸の大火と共通している。
▼〈丸焼けのつれなく焼けしわが物の 赤土ばかり憂きものはなし〉。明暦の大火直後の江戸を詠んだ落首である。火事の仕打ちはむごい。全てを焼き尽くして、被災者から財産を奪い取る。免許証や保険証、結婚指輪さえ、持ち出せなかった住民もいた。死者が出なかったのが、せめてもの救いである。この地域では、日頃から住民同士が声をかけあう習慣があった。つながりの強さが、素早い避難につながった。