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【産経抄】発見されたデビュー作直筆原稿 市ケ谷駐屯地に乗り込んだ三島由紀夫、その名の由来は… 11月13日

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【産経抄】
発見されたデビュー作直筆原稿 市ケ谷駐屯地に乗り込んだ三島由紀夫、その名の由来は… 11月13日

 ある青年が新聞の連載小説で文壇に現れた。当時19歳の作家は「畠芋之助(はたけいもすけ)」と名乗った。作品の不出来が理由か、人を食った号が悪いのか、連載は読者の不興を買ったらしい。明治25(1892)年のことである。

 ▼後に別名で『高野聖』などの秀作を世に出したその人は、「泉鏡花」の名で知られている。鏡に映る花のごとく手に取れぬ美を言葉にせよ。「鏡花水月」にあやかったペンネームは、師の尾崎紅葉が付けたとされる。「文士かくあるべし」の親心に、弟子は応えた。

 ▼本に装丁があるように、ペンネームは作家に社会的な命を与える正装だろう。原稿用紙にあった「平岡公威(きみたけ)」の本名は線で消され、その横に「三島由紀夫」と記されていた。16歳で書いたデビュー作『花ざかりの森』など初期4作品の直筆原稿が見つかったという。

 ▼三島を文壇に導いた同人誌は、伊豆の修善寺で編集会議を開いていた。ペンネームは乗換駅の「三島」から仰ぐ富士の「雪」に由来する。三島は後に「叙情詩風」で赤面したと吐露したが、老熟の筆致による『花ざかり-』が世に出た時点で成功は約束されていた。

 ▼実はデビューする前、虚弱で色白だった平岡少年が「青城散人(あおじろさんじん)」の号を名乗っていたことを、嵐山光三郎さんの『文人悪食』で知った。後年、精神や言葉の対極にある肉体をボディービルで得た三島にとって、「行為のみが最後の目標」になったと嵐山さんは説く。

 ▼自衛隊市ケ谷駐屯地に乗り込むのは昭和45年11月25日である。〈益荒男(ますらお)がたばさむ太刀の鞘(さや)鳴りに幾とせ耐へて今日の初霜〉の辞世を残し、自ら45年の生涯を結んだ。麗しい言葉の担い手が、その体内に宿した秋霜の激しさ。名の通りには生きられぬ人生の悲哀に、ため息が出る。

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