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【話の肖像画】無酸素登山家・小西浩文(1)導かれるように8000メートルの「死の世界」へ

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【話の肖像画】
無酸素登山家・小西浩文(1)導かれるように8000メートルの「死の世界」へ

無酸素登山家・小西浩文(原田成樹撮影) 無酸素登山家・小西浩文(原田成樹撮影)

 〈1978年5月、イタリア人のラインホルト・メスナーら2氏が世界最高峰のエベレスト(8848メートル)に無酸素で初登頂。高校2年だった小西さんもヒマラヤを意識するようになる。メスナー氏は86年に人類初の8千メートル峰全14座制覇に成功する〉

 メスナー氏の登頂はショックでした。エベレストは、当時は酸素ボンベを使うのが当たり前。日本人でも数人しか登れていないし、挑戦して亡くなった人もたくさんいた。標高8千メートルは気圧が地表の約3分の1しかなく血中の酸素濃度は非常に低下し、滞在しているだけで死に至る「デスゾーン(死の世界)」です。ほとんどの学者が無酸素では登頂なんかできないと言っていました。私にとって、まさに「悔しい」ニュースでした。俺も酸素ボンベなしで登ってやるぞと奮い立ちました。

 その年の冬には、高校も辞めて山小屋で働きながら鍛えてヒマラヤへ行こうと考えました。ある日、勝手に北アルプスの玄関口、長野・上高地近くの温泉のバイトを決めて宝塚の自宅に戻ると、父は何も言いませんでしたが、母が大学だけは出してやりたかったと延々と泣きました。しかたなく卒業し、山梨学院大学に進学。しかし、毎日トレーニングばかりして、さすがに勉強についていくのも無理だと1年の夏には辞めてしまいました。「超人願望」というようなものがあったのですね。自分の心臓と肺のみで全14峰を登頂したい。その気持ちは誰にも止められませんでした。(聞き手 原田成樹)

【プロフィル】小西浩文

 こにし・ひろふみ 昭和37年、石川県生まれ。兵庫県宝塚市、高松市などで育つ。私立北陽高校(現関西大学北陽高校、大阪市)で山岳部に入り、雪山のトレーニングに明け暮れる。山梨学院大学に進むが、中退してプロ登山家を目指す。57年にシシャパンマ(中国チベット自治区、8027メートル)に無酸素登頂、以来、平成9年までに8千メートル峰全14座のうち6座に無酸素登頂。主な著書に、「生き残る技術」(講談社)、「勝ち残る!『腹力』トレーニング」(同)など。映画「植村直己物語」、テレビ朝日「ネイチァリングスペシャル 風雪の聖地 アンデス縦断4000キロ」などに出演。

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