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【産経抄】10月25日

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【産経抄】
10月25日

 太平洋上で奮戦する日本の戦闘機の名が、「零戦」であると国民に知らされたのは、大戦末期の昭和19年11月23日のことである。零戦が中国戦線に初めて投入されてから4年、真珠湾攻撃から数えても3年近くたってからだった。

 ▼零戦がベールを脱いだきっかけは、旧海軍による特攻だった。70年前のきょう、関行男大尉率いる神風特攻敷島隊は、フィリピン・レイテ沖の米空母群に零戦もろとも突入、護衛空母を撃沈した。

 ▼新聞には「神鷲の忠烈、万世に燦(さん)たり」の大見出しが躍り、国民に悲壮な感銘を与えた。商売上手な朝日新聞は、さっそく「神風特攻隊」の本をつくろうと、零戦の主任設計士・堀越二郎氏に寄稿を頼み込む。

 ▼戦後、彼は当時をこう回想している。「あまりにも力のちがう敵と対峙(たいじ)して、退(ひ)くに退けない立場に立たされた日本武士が従う作法はこれしかあるまいと、私はその痛ましさに心の中で泣いた」(『零戦 その誕生と栄光の記録』)。

 ▼91歳になる元陸軍特攻隊員も「国が負けかかっているときに、俺たちがやらんで誰がやるか」の心境だった、と小紙に語った(23日付朝刊)。しかし、国を憂い、郷土と家族を守るため自らを犠牲にした男たちを軍神に祭り上げた新聞は、戦後すぐに手のひらを返した。

 ▼朝日など一部の新聞・テレビは、首相が靖国神社に参拝するのは「悪」といわんばかりの報道を続けてきた。これに乗じて中韓両国が、靖国参拝を外交問題化したのはご存じの通り。誤解を解く努力は必要だが、「反日」を権力闘争に利用している両国首脳は聞く耳を持つまい。無理して両首脳と短時間、意味のない立ち話をするより、特攻隊員ら戦没者の霊を慰める方が、宰相としてよほど大事な務めである。

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