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【産経抄】日本の翼第一号 10月20日

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【産経抄】
日本の翼第一号 10月20日

 日本のパイロット第1号は、水戸の徳川家の一族に生まれた徳川好敏(よしとし)である。飛行機の操縦は、陸軍の工兵大尉時代に、フランスの飛行学校で学んだ。

 ▼明治43(1910)年12月19日、東京・代々木練兵場で、フランス製の複葉機に乗り込み、高度70メートル、距離3キロ、約4分間の初飛行を披露した。練兵場の周りを埋めた数万の観衆は歓声を上げ、新聞各紙は「暁天(ぎょうてん)の大飛行」を大々的に報じた。

 ▼ライト兄弟による人類最初の飛行から、7年後のことだ。徳川は国産1号機「会式第1号」の開発にも携わり、翌年、飛行に成功した。「外国機に比していささかも遜色がなかった」。著書の『日本航空事始』で、誇らしげに振り返っている。

 ▼やがて日本の航空産業は、歴史に残る名機、零戦を生み出すなど、世界屈指のレベルを誇るまでになる。しかし敗戦後、戦勝国によって、徹底的に破壊されてしまった。その復活は、昭和30年代のプロペラ旅客機「YS-11」の開発まで待たなければならなかった。

 ▼それからさらに半世紀がすぎて、国産初のジェット旅客機「MRJ」が、完成まであともう一息のところまできている。白地に赤黒金のラインが入った機体が、先週末、関係者に公開された。来春に初飛行を行い、3年後の納入をめざすという。「ものづくりの国」の象徴として、世界の空にはばたく日が待ち遠しい。

 ▼ジェット機といえば昭和35年、徳川は76歳にして初めて乗る機会を得た。アメリカの航空会社から、世界一周の旅の招待を受けたのだ。「機内は、いささかの動揺もなく、騒音もなく、まるで宇宙を辷(すべ)るような感じ」と、快適な飛行に感激している。「MRJ」の乗り心地は、それをはるかに超えているはずだ。

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