【スポーツ茶論】「元祖公務員ランナー」の教え 北川信行 - 産経ニュース

【スポーツ茶論】「元祖公務員ランナー」の教え 北川信行

福岡国際マラソンで10位となった川内優輝=平和台陸上競技場
 日本の男子マラソン界が久々に活況を呈している。2月の東京マラソンで26歳の設楽(したら)悠太(ホンダ)が2時間6分11秒をマークして16年ぶりに日本記録を更新すると、夏のジャカルタ・アジア大会では25歳の井上大仁(ひろと)(MHPS)がこの種目32年ぶりの金メダルを日本にもたらした。さらに、10月のシカゴ・マラソンで27歳の大迫傑(すぐる)(ナイキ)が設楽を上回る2時間5分50秒の日本新。2日に行われた福岡国際マラソンでは、25歳の服部勇馬(トヨタ自動車)が日本勢14年ぶりの優勝を果たした。
 2020年東京五輪に向けて明るい兆しと言えるが、気になるのは福岡で日本人8番手の10位に沈んだ31歳の川内優輝(埼玉県庁)だ。「公務員ランナー」として一世を風靡(ふうび)し、来春にプロ転向する意向を表明している。低迷が続いた日本男子マラソン界を支えてきた存在だが、自身より若い20代半ばの選手が次々と頭角を現し、時代に取り残された感がある。
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 個人的な話だが、高校時代の陸上部の恩師は「元祖公務員ランナー」と呼ぶべき人物だった。1972年のミュンヘン五輪男子マラソンに出場した采谷(うねたに)義秋さん。日体大卒業後に古里に戻り、2005年に定年退職するまで38年間、体育教師として広島県内の公立高校で教鞭(きょうべん)を執り続けた。私の高校時代には、既に現役を引退していたが、生徒たちの先頭に立って練習を引っ張ることも多かった。
 教員とランナーの二足のわらじを履いた采谷さんには、68年メキシコ五輪の代表選考で落選した苦い経験がある。選考レースの別府大分毎日マラソンとびわ湖毎日マラソンでともに2位となったが、代表枠3人に入ったのは成績で下回っていた君原健二さん。采谷さんは補欠の扱いだった。専属コーチがいないことや、マラソン経験の少なさなどが落選の理由として挙げられ、「悲運のランナー」とも呼ばれた。五輪本番で君原さんが銀メダルを獲得したことも皮肉だった。
 4年後のミュンヘン五輪。ボストンマラソンを大会新記録で制するなど実績を積んだ采谷さんは晴れて代表に選ばれた。しかし、本番は36位と惨敗。当時の思い出を尋ねると「ミュンヘンにはビールを飲みに行ったんだ」と答えていた。
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 五輪に出場したころは、実業団チームからの誘いもあったという。だが、「望んで教員になったのだから」と最後まで意思を曲げなかった。自ら練習メニューを考え、黙々とトレーニングを続けた。
 采谷さんがメキシコ五輪に出場していたら、どうだったかは誰にも分からない。ただ、その後も五輪マラソン代表選考レースの在り方をめぐっては、毎回のように論争を巻き起こしてきた歴史がある。
 東京五輪では、一定の条件を満たした選手が集い、代表枠を争う「マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)」が導入された。ようやくすっきりした形になりそうだ。
 川内も既に、来年9月に開かれるレースの出場権を獲得している。そこで、意地を示してほしい。「今の選手は至れり尽くせりだが、それが良いのかどうか」。定年退職後の采谷さんに日本のマラソン界の話を聞くと、そんな答えが返ってきた。薫陶を受けた教え子としては異色のランナー、川内に期待せずにはいられない。