防衛力整備へ隘路を切り開け 同志社大学教授・村田晃嗣

正論
同志社大学教授・村田晃嗣氏

 自由民主党の総裁選挙では、現職の安倍晋三氏が優勢のようである。安倍氏3選の場合、悲願の憲法改正はなるであろうか。天皇陛下の譲位や皇太子さまのご即位をはじめ、2019年前半の政治日程はきわめて過密である。しかも、7月の参議院選挙で改憲勢力が3分の2の多数を失えば、憲法改正の発議ができなくなる。そうなれば、安倍内閣での憲法改正はできなくなる。従って、憲法改正はスケジュールと世論を睨(にら)んだ、きわめて微妙な営為となる。

 ≪安定を損ねているのは誰か≫

 憲法改正の成否は一旦置くとしても、防衛力の整備は着実に進めなければならない。日本を取り巻く安全保障環境は厳しい。米朝首脳会談後も北朝鮮の脅威に大きな変化はない。日中関係に改善の兆しが見られることは結構だが、中国の軍拡路線も続いている。

 2015年に安保法制が国会で審議された際に、筆者は衆議院平和・安保法制特別委員会の公述人として、日本を取り巻く国際情勢が厳しいとの見解を示した。その際に学内の「有志」から抗議が起こり、筆者の発言は中国脅威論に立つ「学術的というよりむしろきわめて政治的な観点からの演説」と批判された。

 中国の国防費は1988年から49倍、2007年からでも3倍に増大している。同様のことを日本がすれば、東アジアの安定を損ねていると非難されないだろうか。これだけの軍拡が近隣諸国に不安を与えないというのなら、それこそ「政治的」主張であろう。

 アメリカのドナルド・トランプ大統領の言動はしばしば過激だが、それでも一定の支持を得ている背景として、時に政治的核心を鋭くついている点があろう。

 例えば、中国との「貿易戦争」である。もちろん、かなり危険なゲームなのだが、中国によるサイバー攻撃や知的財産権の侵害をこれ以上看過できないという懸念は広く共有されている。

 また、北大西洋条約機構(NATO)では、トランプ大統領は同盟諸国に国内総生産(GDP)の2%を国防費に充てるという公約の実現を強く迫っている。これも至当な主張であろう。翻って、日本の防衛費はGDP比1%以下である。ヨーロッパの安全保障環境と日本のそれを比べれば、明らかに後者のほうが深刻である。

 ≪中国の国防費は日本の10倍に≫

 このままで推移すれば、30年には中国の国防費は日本の10倍以上になるとの予測もある。自由民主党は防衛費をNATO並みのGDP比2%まで増額するよう主張しているが、財政的にそれはなかなか実現困難であろう。せめてGDP比1・2%か1・3%を実現したい。これでようやくドイツ並みなのである(昨年の世界平和研究所の政策提言にも、そうある)。

 その上で、限られた資源を有効に配分しなければならない。サイバー・セキュリティーは喫緊の課題の一つであろう。専門家の養成が急がれる。これは民間とて同じことである。安保法制をめぐって、集団的自衛権の行使が合憲か違憲か論争になったが、そもそも1946年に日本国憲法が公布されたときにはサイバー空間はなかったのであり、サイバー空間で個別的自衛権と集団的自衛権が区別できるはずもない。

 また、アメリカからの武器購入も高額で、累積して防衛費を圧迫している。いかに同盟間といえども、したたかな駆け引きを要するビジネスの話でもある。日本国内で防衛産業を育成するとともに、防衛費の微増を繰り返すのではなく、上述のように目標を設定することで、同盟国として対米交渉の立場を強化する必要があろう。

 さらに、いわゆるグレーゾーン対処のためにも、海上保安庁の予算と装備も大幅に増強しなければならない。ここ数年、海保の予算はかなり増えてきたが、それでも補正を含めて2400億円程度である。これでは東京大学の年間予算と同じ規模だ。尖閣諸島周辺で中国海空軍の活動が活発になってきているし、海保は尖閣諸島だけに対処しているわけではない。日本には6千を超える島々がある。

 ≪チャーチルが見せた愛国者の涙≫

 先日、ジョナサン・テプリツキー監督『チャーチル ノルマンディーの決断』を見た。ブライアン・コックスがチャーチル首相を好演している。「史上最大の作戦」として知られるノルマンディー上陸作戦に、実はチャーチルは反対であった。上陸時に多くの若者の命が失われることを危惧したからである。名宰相は妻を前に涙さえ見せる。だが一旦、作戦が決行されると、チャーチルは国民を奮い立たせる演説をするのである。

 「若者を二度と戦場に送るな」-戦後日本で繰り返されてきた、この反戦スローガンはそれ自体は正しい。防衛には自制心が必要である。だが同時に防衛には十分な準備も必要である。われわれは懊悩(おうのう)しながら、この隘路(あいろ)を進むしかない。チャーチルの涙は軍国主義者の涙ではない。愛国者の涙なのである。それは先日死去したジョン・マケイン米上院議員が生涯を通じて示した姿勢にも通じよう。(むらた こうじ)