異能のJOC元事務局長の死を悼む

津田俊樹のスポーツ茶論
 2020年東京五輪開幕に向け、建設工事が進む新国立競技場=20日、東京都新宿区(共同通信社ヘリから)

 スポーツ界が揺れている。連日のように、どこかで誰かが頭を下げて謝罪している。

 一つずつ競技団体と問題点を挙げていくと、それだけで拙コラムの紙面が埋まってしまう。枚挙にいとまがない、ということか。

 ここぞ、とばかりに「実は、あそこでも、こんなことが」とフェイクニュースを吹き込んでくる輩(やから)までいる。

 何事にも表と裏がある。「汗と涙と感動」のスポーツ界も例外ではないことは百も承知とはいえ、混乱、混迷の極みである。

                 □   □ 

 そんなさなかの今年5月、日本オリンピック委員会(JOC)の川杉収二元事務局長が亡くなった。71歳だった。強面(こわもて)ながら、情に厚く、ざっくばらんな人柄で広い人脈を築きあげた。

 持ち前の行動力と情報収集力を発揮して、JOC設立に尽力した。1991年にJOCが日本体育協会(体協=現日本スポーツ協会)から完全独立するための組織、人事の基本構想づくりに汗を流した。

 体協職員からのたたき上げで、清濁を持ち合わせていた。トラブルが起きると火中のクリを拾い、剛腕を振るった。ジェントルマンが多いJOCのなかで、いざというときに頼りになる異能の事務局長だった。

 「あくまでも選手が主役だ。われわれは裏方に徹しなければいけない」

 現場の声に耳を傾けながら、サポート役に徹した。

 車好きで知られた。愛車はブリティッシュ・グリーンの英高級車ジャガー。運転中はご機嫌だったが、メディアには厳しかった。見舞いに行くと、よく叱責された。

 「最近の新聞記事は読み応えがないな。記者の勉強不足に尽きる。後輩を育ててこなかった責任は重いぞ」

 「痛感していますけど、JOCだって同じでしょ」

 「矛先を変えるな。でも、お互いさまか。難しいね、人材育成っていうのは」

 五輪ムーブメントの現状と将来について激論になり、年がいもなく互いに大声を出し合うこともあった。

                 □   □ 

 学生野球・東都大学リーグの亜細亜大学を応援していた。OBでもないのにジャガーをとばして、練習グラウンドに通っていた。リーグ戦が開幕すると、試合結果に一喜一憂していた。

 1年以上前だったか、闘病中の元事務局長から、突然、連絡が入った。

 「あす、病院を抜け出して神宮球場に行くから付き合ってくれ。伝えておきたいこともあるし」

 観戦後、神宮外苑ゴルフ練習場のカフェテラスで、ひと時を過ごした。

 「(2020年)東京五輪のとき、神宮球場を資材置き場にするなんて考えられん。ここは学生野球の聖地だぞ。レガシー(遺産)、レガシーと言いながら、国立競技場を建て替えるなんて。今度のオリンピックは、オレが目指してきたものとは違う。JOCがリーダーシップをとらなくちゃ。存在感が全くないんだから」

 今、思うと、この言葉が伝えておきたい「遺言」だったのかもしれない。

 2020年東京五輪・パラリンピックまで2年を切ったというのに、スポーツ界では不祥事が相次いでいる。猛暑対策、サマータイム導入検討など、開催に向けての課題も山積している。

 もう、歯に衣(きぬ)を着せない物言いを聞けない。それが悔やまれてならない。