8月19日

産経抄

 江戸末期に笠亭仙果(りゅうてい・せんか)という人が編んだ『武稽(ぶけい)百人一首』の歌にある。〈兵法の奥義は人と争はず…〉。それが、わが身の安全を保つ術(すべ)だと説いている。目角を立てずいさかいの煙も立てるな、と。確かに、無用な血を流さずに済む最善の策だろう。

 ▼剣術の一つである「居合道」は、敵と刃(やいば)を交えるでもなく、自己の技をひたすら高める点で兵法の極意に近い武術かもしれない。技量に応じた段位や称号を得るための厳しい審査があるものの、角を立てずに合格するための秘技もある。技の名を「袖の下」と呼ぶ。

 ▼全日本剣道連盟が行う居合道の昇段審査などで、長年にわたり受審者から多額の金銭が審査員の側に渡っていた実態を、本紙の記事が明らかにした。審査員からは「誠意やないか」とあけすけな要求もあった。現金の授受に加え料亭での接待も茶飯事だったという。

 ▼段位は「技術的力量」が、称号は「識見などを備えた剣道人としての完成度」が問われると連盟の規則にある。売買できるモノにすぎないのなら、剣道界に「道」を語る資格はあるまい。段位制度のある他の競技団体にスポーツ庁が調査を求めたのもやむを得ない。

 ▼居合の技である「抜打(ぬきうち)」を「ぬけうち」と読めば「警察の目をかすめて公禁の品を売る」との意味になる(『新修隠語大辞典』皓星社)。公にできない「商売」の横行を当てこすったはずもないが、武道の品位が抜け落ちた悪(あ)しき慣習をいみじくも言い当てている。

 ▼聞けば、審査をめぐる「袖の下」は昭和40年代からの旧弊という。常人なら鼻白むものを、中には後ろ暗さを色にも出さぬ先生もいるらしい。「居直り」という秘剣も、鍛錬の成果には違いない。技の語感に切れ味を欠くのが、玉にきずではある。