戦後73年に思う 明治の意義顧みるメッセージを 国学院大学名誉教授・大原康男

正論
国学院大学名誉教授・大原康男氏

 ≪目白押しの「百五十年行事」≫

 西日本各地に大きな惨禍をもたらし、「特定非常災害」に指定された西日本豪雨から1カ月も過ぎたというのに、なかなか復興は進まない。例年なら73回目となる終戦の日を迎えてなにがしかの感懐を抱く時候なのだが、どこかに飛んでしまいそうな雲行きである。

 しかしながら、今年が明治元(1868)年から起算して150年に当たることから、1年8カ月前の平成28年12月に政府が策定したプロジェクト「『明治百五十年』関連施策の推進」は、公表された本年3月31日現在の「取組状況」をざっと眺めてみると、相当程度の成果が挙がりつつあることが窺(うかが)える。

 なにせ「明治以降の歩みを次世代に遺(のこ)す」ことと「明治の精神に学び、更(さら)に飛躍する国へ」を「基本的な考え方」として、国、都道府県・指定都市、市区町村(指定都市を除く)、民間団体ごとに区分され、一覧できるよう簡明に整理された施策概要はA5判で計352ページにも及んでいるからだ(既に実施済みのものがある一方、次年度に続くものもある)。

 ここでふと想起するのは、さらに50年を遡(さかのぼ)る「明治百年」である。昭和30年代半ば頃から43年の「明治維新百年」を記念する行事が左右両派から提議され、新聞・雑誌・テレビが相次いで特集を組み、関係する単行本の出版も100冊を優に超えたといわれる。展覧会や講演会などのイベントも次々に開催された。

 ≪通り一遍に過ぎはしないか≫

 とりわけ注目すべきなのは朝日新聞による「明治100年か、戦後20年か」という問いかけが大きな論争を生んだことである。60年安保で敗北した左派が70年安保を視野に入れた新たな闘争の一つとして提起したのであったのか。

 政府は「明治百年」の行事を「国家的規模において盛大に執行する」ことを閣議決定し、昭和43年10月23日に日本武道館において「明治百年記念式典」を挙行したが、社会・共産両党は「政府が特定の史観を押しつけるもの」と批判して式典を全面的にボイコットしたのである。

 一方、民間右派団体は政府に対抗して「明治維新百年」にこだわった。それは「明治維新百年祭」を政府の式典より早く「五箇条の御誓文」の発布の日である3月14日(旧暦)に斎行したことで、素志を貫徹したと言ってよいだろう。

 話を「明治維新百五十年」に戻すが、先記した「取組状況」から感じられるのは、各論的なテーマが圧倒的であり、政府の基本的な考え方も総論としては通り一遍の無難なものにとどまり、この点にいささか不満を覚えたので、あえて卑見を呈したい。

 ポイントは2つである。1つは維新政府が置かれた内外の厳しい環境である。まず、欧米列強による侵略の脅威が依然、潜在し、幕府が5カ国と結んだ不平等条約の桎梏(しっこく)が独立国としての基盤を著しく損ねていた。その上に、いまだ攘夷(じょうい)を唱え、旧例を墨守しようとする攘夷派と文明開化路線を急速に推進しようとする開明派との対立は続発するテロの土壌となって熾烈(しれつ)な政争を生み、続発する農民一揆や相次ぐ地方の争乱は政府への信頼を揺るがすものであった。

 それに加えて地租に頼りきりの税収、石炭や硫黄・石灰石以外に天然資源が乏しい上に、外貨を獲得するための輸出品目も限られ(絹製品・漆器・茶・米など)、国家財政の脆弱(ぜいじゃく)さはあらゆる面で政策推進の足かせになっていた。このような幾重ものハンディキャップを背負いながら、政府は敵前架橋よろしく大急ぎで近代化を進めねばならなかったのである。

 ≪往時の父祖の労苦をしのべ≫

 2つ目のポイント、すなわち、その成果はまず廃藩置県による封建制の完全廃止、税と貨幣制の改革(地租の金納化・円を基準とする十進法による貨幣発行)、殖産興業の推進(各種産業の育成・社会的インフラの整備)、義務教育制度の発足、近代的兵制の整備(中江兆民も賛同した徴兵制の導入)、そしてその総まとめとしての憲法制定と議会の開設-である。そのどれを見ても革命的ともいえる実績を僅か四半世紀足らずの間にかち得た。

 今日の先進国による政府開発援助(ODA)のような結構なものはなく、すべて自前の資金で賄わざるを得なかった往時の父祖たちの労苦に深い感銘を覚えずにはおられない。かくして宿命としての日清・日露戦争をしのぎ、懸案の条約改正が最終的に成し遂げられたのが明治44年のこと。まさに明治一代の御代をかけての大仕事であった。

 偶然のことだが、「明治百年」の首相は維新の源流の一つである長州藩に連なる佐藤栄作、すなわち安倍晋三首相の大叔父である。50年前の政と民との対立を省みつつ、本年10月23日、明治改元の日を期し、国民に向けて首相としての「明治維新百五十年」メッセージを発するよう待望したい。(おおはら やすお)