「何もしなかった」平成の日本 作家・堺屋太一

正論・戦後73年に思う
作家、堺屋太一氏(野村成次撮影)

 「平成」がはじまった直後、私は「平成三十年」と題する予測小説を書いた。その第1章の表題は「何もしなかった日本」である。

 平成のはじめに、「これからの何十年か、日本は大した改革も大きな新事業もしないだろう」と予測したのである。

 ≪「低欲社会」で起業家がいない≫

 それでも、この小説に登場する官僚たちは、財政の健全化を目指して消費税率を20%にまで引き上げようとする。「消費税率20%」は、ヨーロッパ諸国では既に実現している水準である。

 ところが現実の日本は、消費税を5%から8%に引き上げただけで、そのあとはなにもしていない。年々多額の財政赤字を垂れ流しながら、物価はほとんど上がらず、円の為替レートもしっかりとしている。

 そんな魔法のようなことが、どうして生じたのか。そしてそれが「日本と日本人」にとって、有り難いことなのか、その逆なのか、真剣に考えてみよう。

 日本政府が年々巨額の財政赤字を出しながら、物価上昇も起こらず為替の下落も生じない背景には、日本社会を覆う「低欲社会」化の現象がある。

 低金利の金あまり社会を提示しても、消費に動く人も少ないし、起業に走る者も少ない。この国の人々の願いは、大企業の正社員になって安定した収入を定年まで得るか、せいぜい息子に医師免許を取らせて勤務医として働き続けるようにするかが希望だ。

 事業を起こして財を成し、他人を使う身になろうと、希望する者はごく少ない。

 それは恐らく、この国では起業者や多額納税者に対する尊敬が、きわめて限られているためでもあろう。

 資本主義の社会では、業を興して財を成した人々を尊敬もし、崇拝もする。だからこそ、あえて困難と危険を冒しても起業する者が出る。そして、そんな起業家のおかげで世の中が進歩し、豊かになる。

 ところが現在の日本では、起業成功者を尊敬しないし、優遇もしない。これでは危険を冒して起業に走る者が少なくなるのも当然だ。

 ≪相続税強化で富豪が消えた≫

 アメリカのトランプ大統領は税制を改革、相続税の引き下げを公表した。日本ではむしろ相続税の課税強化に走っている。どちらが正しいか、どちらがいいかの問題ではない。世の中の仕組みと発想の問題である。

 私は子供がいないので遠慮なくいえるのだが、世の中の進歩と安定のためには、有産階級が必要であり、「社会の重し」としても大事である。

 現在、国連加盟193カ国のうち、相続税のあるのは少数にすぎない。日本ほど厳しい相続税を取り立てる国は珍しく、最近は相続税逃れのため諸外国に移住する成り金層も増えている。

 フランスでは、現在の富豪上位200軒のうち、半分がナポレオン3世の頃から続く家系というが、日本では明治からの富豪など全くいない。いや、昭和の富豪さえ平成の30年間でほとんど消えてしまった。

 日本で継承されるのはむしろ人脈、えたいの知れぬ人間関係で、息子や娘に権力や人気を引き継がせる方法である。

 ≪嫉妬から逃れ豊かさの追求を≫

 要するにこの国は、奇妙な人間関係の谷間で、資本主義体制になり切れなかったようだ。それがこの国の短期志向となり、官僚主導を産んだ。

 日本の官僚は真面目で善良で仕事熱心だが、日本社会の奇妙さを反映してか、1年か2年でポストが替わる。

 これでは長期の政策を考えることもできなければ、十分な専門知識も積み上がらない。最近の「有力官僚」といわれた人も、退職すればただの人。天下り先で車が付くのを威張る程度の哀れな存在である。

 先の大戦の主導者でさえ「時流に流され、やむなく戦争への道を走った気の毒な人」ばかりだった。「社会の重し」ともいうべき「代々の有産階級」を欠く日本の構造的な失敗である。

 かつてイギリスの首相を長期間務めたマーガレット・サッチャー氏はいった。

 「金持ちを貧乏にしても、貧乏な人が豊かになるわけではありません。それにもかかわらず金持ちを貧乏にしたがる人がいるのは嫉妬です。嫉妬は人類最大の劣情です。劣情に基づく政治は悪い政治です。私たちは嫉妬の政治から逃れねばなりません」

 この言や良し。

 日本も嫉妬の政治から逃れ、真の豊かさと楽しさを追求すべき時代である。平成の次の時代には、それを望みたい。

 ここは、政治家とそれを支持する有産有識の士に、長期の視野と思考を持って「平成後の日本」をじっくりと考えてもらいたい。(さかいや たいち)