【日曜に書く】〝読み合わせ〟で泣くことしかできなかった「8・12」 論説委員・清湖口敏 - 産経ニュース

【日曜に書く】〝読み合わせ〟で泣くことしかできなかった「8・12」 論説委員・清湖口敏

日航ジャンボ機墜落事故から12日で33年となるのを前に、「御巣鷹の尾根」の麓の神流川に灯籠を流す子どもら=11日夕、群馬県上野村
 論説委員になるまでの長い校閲記者勤めのなかでも、とりわけつらかった経験として毎年思い出されることがある。昭和60年8月12日、群馬県の御巣鷹の尾根に日航ジャンボ機が墜落し、520人が犠牲となった。
読み合わせ
 新聞制作の全てが電子化された現在とは違い、当時は鉛の活字を使った活版が主流だった。校閲作業は2人一組での「読み合わせ」が中心で、一方が記事単位の組み版を刷った棒ゲラを声に出して読み、他方が鉛筆書きの原稿を目で追う。活字の鋳造・植字が原稿通りになっているかを照合しつつ、記事の内容も精査していくのである。
 連日、事故関連の記事が大量に校閲部に回ってきた。
 墜落寸前の機内で妻に「(子供らを)たのむ」、愛児には「立派になれ」と遺書を走り書きした人。「神様たすけて下さい」と書き残した人も-。
 奇跡的に生還した女性は、墜落後に気を失いかけたが、やはり助かった8歳の娘に「眠っちゃだめ」と励まされたという。女性は後に、夫ら家族3人の死を娘に告げた-。
 夫を亡くしながらも遺体安置所に姿を見せない妻がいた。乗員の妻である。「乗客のご家族に申し訳なくて…」-。
 このような記事を読み上げるうちに、私の声は次第に鼻声となり、目も潤んでくる。編集という時間との勝負のなかで、滲(にじ)んだ文字に目を凝らそうと焦れば焦るほど、神経の集中を欠くありさまだった。つらかった。
 今から思えば、読み合わせの相方に「涙を拭くからちょっと待って」と言ってしまえば済む話だったかもしれない。だが、同僚らには絶対に涙を気取(けど)られたくなかった。男が泣くことがまだまだ恥ずかしいとされていた時代だったように思う。
 昨年1月の大相撲初場所で初優勝を飾り、インタビューで男泣きした稀勢の里は、後で「見苦しい姿をお見せしました」と恥じた。今でも一定以上の年齢層では「男は泣くものではない」との観念が生きているのだろう。稀勢の里も恐らく、周りの大人からそのように聞かされて育ったのに違いない。
 近頃の風潮にみられるような「男らしさ・女らしさ」の頭からの否定には全く同じる気はないが、こと“泣く資格”に関しては、男は「らしさ」の呪縛から解放されてもいいと思っている。喜びにつけ悲しみにつけ涙を流し泣くことは、弱いことでも悪いことでもないはずだ。
昔の男は
 そもそも「男は泣くな」は江戸期に生まれた比較的新しい通念である。古い時代の男がよく泣いたことは神話や物語に徴しても明らかで、八岐大蛇(やまたのおろち)退治で知られる猛者、スサノオノミコトは亡き母恋しと号泣し、ために山は枯れ海川は干上がった。息子と同齢ほどの平敦盛を討った熊谷直実が、武士の身をうらんでさめざめと泣く場面は『平家物語』の圧巻でもある。
 日航機事故のときのようなつらい読み合わせは、今ではさすがに経験することもないが、新聞やテレビの日々のニュースについ涙をこぼしてしまう質(たち)は、今も変わっていない。
 東京都目黒区の5歳女児の虐待死事件では、次々と明らかになるあまりにも悲惨な実態に胸がつぶれ、泣いた。電灯も暖房もない部屋で1人寝かされ、暴行を受け、衰弱していった。ノートには「もうおねがい」「ゆるしてください」…。
 西日本豪雨でも、母の目の前で濁流が子供をさらっていくなど、悲しい報道が相次いだ。
祈りに通じる
 無理して涙をこらえるのはもうやめよう。悲しいときは悲しみの涙を流すことにしよう。所詮私たちには、悲しみに暮れ、泣くことでしか、過酷な現実を恨み、犠牲者を悼むことができないのだ。東日本大震災に寄せた、ある三行書きの歌がふと頭をよぎる。
 「遠くから/祈ることしか出来なくて/自分の弱さ 思い知る今」(高木沙弥花)。作者は当時、北海道の高校生だった。
 泣くことは祈ることに通じ、多くの祈りは現実に働きかける力にもなると信じている。国民の多数が目黒区の事件に泣いたからこそ、政府も東京都も児童相談所の体制強化などへ動きだしたのだ。「8・12」で流した涙を今また新たにすることは、犠牲者を慰め、同時に安全な空輸への祈りともなるだろう。
 世上の渇きを潤せるのは、一人一人の涙をおいてほかにない。イザナギノミコトの涙からは、新しい神様が誕生した。(せこぐち さとし)