8月12日

産経抄

 夏の甲子園が始まると、作詞家の阿久悠さんは球児をテーマに1日1編の詩を書いた。詩には短い所感を添えて、『甲子園の詩(うた)』と題してスポーツニッポンに寄稿した。昭和60(1985)年8月15日に書かれた文は、その余韻とともに忘れがたい。

 ▼〈黙祷(もくとう)の意味を心を、心をつくして語ってやりたい。この素晴しい夏の祭典を永遠につづかせるためにも〉。ことしも終戦の日が近い。昨今の国際情勢を阿久さんが知ったなら、とふと考えてみる。正午に響く1分間のサイレンは、泉下の人にどう聞こえるだろう。

 ▼100回を迎えた夏の高校野球の歴史で、1度だけ文部省主催の下に行われた大会がある。戦局が険しさを加えた昭和17年夏だった。「銃後鍛錬」をスローガンに、選手は「選士」と呼ばれた。体に近い投球を「よけてはならない」と、耳を疑う通達も出たという。

 ▼16校によるトーナメントで3勝を挙げ、準優勝したのが京都・平安中である。文部省主催を理由に球史から消され「幻の甲子園」と呼ばれている。いまの龍谷大平安高が甲子園で春夏通算100勝を挙げたと聞き、記録として報われぬ「3勝」の物語を思い出した。

 ▼阿久さんは、流行歌と映画と野球を「戦後民主主義の三色旗」と呼んだ。戦後73年を経た日本は、その旗が風になびく景色を努力なしに守れぬことを知っている。中国や北朝鮮の向背に神経をとがらせ、先の大戦の反省だけでは国同士の均衡を保てぬ現実を学んだ。

 ▼耳に痛い歌がある。〈「戦(をのの)き」も「戦(そよ)ぎ」もあるをまどふなく「戦(いくさ)」と読みて徒労感濃し〉(斎藤すみ子)。次の100回のためにも平和を乱す国々に戦(おのの)かず毅然(きぜん)と応じねばなるまい。阿久さんの愛した「旗」は今日も甲子園の浜風に戦(そよ)いでいる。