【正論】「日欧EPA」樹立の意義は何か 東洋学園大学教授・櫻田淳 - 産経ニュース

【正論】「日欧EPA」樹立の意義は何か 東洋学園大学教授・櫻田淳

東洋学園大学教授・櫻田淳氏
 去る7月17日、安倍晋三首相は、訪日中のドナルド・トゥスク欧州連合(EU)欧州理事会常任議長とジャン・クロード・ユンケル欧州委員会委員長とともに、日本とEUの経済連携協定(EPA)に署名した。
 ≪称賛された「価値の共有」≫
 トゥスク議長は、協定署名後の記者会見の席で、次のように発言した。
 「地理の上では、われわれ(欧州と日本)は、遠く隔たっている。しかし、政治や経済の上では、われわれは、これ以上ないほどに近い。われわれは双方ともに、開放性と協調と秩序とに裏付けられた国際秩序と自由貿易を固く信じている。われわれは双方ともに、自由民主主義、人権、法の支配の価値を共有している」
 日本とEUのEPA締結それ自体は、ドナルド・J・トランプ政権発足直後の米国の離脱によって、一旦は頓挫しかけた環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)の「復活」に併せ、安倍内閣下の明白な成果である。
 「保護主義の動きが広がる中、日本とEUが自由貿易の旗手として世界をリードしていきたい」という安倍首相の言葉は、トランプ大統領登場後の保護主義機運の隆盛の中で、日本の立場を表明したものとしては、誠にふさわしいものである。
 それ故にこそ、トゥスク議長の記者会見での発言の中でも、「関税戦争、激しい言葉、無責任こそが本当のリスクだ」という件(くだり)は、多くのメディアでも強調されて報じられている。
 それがトランプ大統領の言動を念頭に置いているのは、明らかであるからである。ただし、トゥスク議長の発言の中でも最も重要なのは、前に触れた「欧州と日本は、地理上は遠く隔たっているけれども、政治上、経済上では近い」という件にこそある。
 そもそも、明治以降の150年、日本にとっての対外関係上の大義は、「西欧世界に伍(ご)する」ことにあった。
 ≪悲願だった「対等な交易圏」≫
 福澤諭吉が『文明論之概略』書中に残した「今世界の文明を論ずるに、欧羅巴諸国並に亜米利加の合衆国を以(もっ)て最上の文明国と為し、土耳古、支那、日本等、亜細亜の諸国を以て半開の国と称し…」の記述を踏まえれば、その「文明」の域に達することこそが、近代日本の至上の大義であった。
 第二次世界大戦後には、高坂正堯(国際政治学者)が日本を「極西の国」と呼び、梅棹忠夫(生態学者)が「文明上、日本に近いのは西欧である」という仮説を提示した。
 それは、特に昭和初期以降の「アジア関与」の失敗を経て、日本の人々が「表層的な国力だけではなく、『文明』に内包された価値意識の上でも、西洋世界に近しい存在になる」と再確認した事情と軌を一にしている。
 故に、日欧EPA締結は、条約改正の実現に精力を費やした明治日本の指導層が、百数十年後の日本が欧州世界と「対等な交易圏」を樹立する光景を目にしたら、何を思うのであろうか、と想像させるに足る意義を持つ。
 そして、トゥスク議長の件(くだん)の発言は、そうした日本の永きに渉(わた)る「自画像」を欧州世界の最高政治指導者の立場で肯定した。その意義は甚だ大きいといえよう。
 ≪明治150年の正しい歩み示す≫
 第一次世界大戦とロシア共産主義革命を経て、世界大恐慌の最中にあった1930年代、自由と民主主義といった価値意識も、欧州世界では決して盤石ではなかった。
 現在では『二千五百年史』や『新日本史』といった史書の著者として名を残す竹越與三郎は、その著『旋風裡の日本』書中、往時の世界史的な価値意識の動揺のもと、日本がファシズムになだれ込む流れの中で次のように記した。
 「欧洲大戦の後を受けて世界は今や動蕩(どうとう)、混乱の最中である。併(しか)しながら近世文明を樹立したる文明人は、必らず、その国家社会を再建するであらうことは、余の信じて疑はざる所である。そして再建せられたる文明の大建築は、依然として所謂(いわゆる)資本主義の文明であらうことも、また信じて疑はざる所である。それは歴史の示すゴールであるからである。
 …決して狼狽(ろうばい)してはならぬ。決して失神してはならぬ。自信を以て毅然(きぜん)として邁進(まいしん)せねばならぬ」
 日欧EPA締結が象徴する日欧関係の現状は、「明治150年」の歳月における日本の歩みが正しかったことを示す。
 そうであるならば、今後の日本が心掛けるべきは、トゥスク議長の発言にある「開放性と協調と秩序とに裏付けられた国際秩序と自由貿易、自由民主主義、人権、法の支配の価値」の擁護に際して、竹越の記述にある「狼狽も失神もせず自信を以て毅然として邁進する」姿勢を貫徹することでしかない。
 それは、平成の次の御代、そして「明治200年」を展望する上でも大事なことである。(さくらだ じゅん)