【正論】寛容は双方向でなければならぬ 福井県立大学教授・島田洋一 - 産経ニュース

【正論】寛容は双方向でなければならぬ 福井県立大学教授・島田洋一

福井県立大学・島田洋一教授
 ≪同性婚証明拒否の書記官を収監≫
 杉田水脈衆院議員へのバッシングを見ていて、アメリカのキム・デービス事件を思い出した。同性婚カップルへの結婚証明書発給を拒否して収監された女性書記官のことだ。保守派の不寛容を示す典型的事例として盛んに報じられた。ところでデービスさん(ケンタッキー州ローワン郡書記官)は、結婚は1組の男女に限るとする宗教的信念を変えていない。それでいて職に留(とど)まっている。一体問題はどこに「消えた」のか。
 「寛容は双方向でなければならない」がこの一件を理解する鍵である。2015年6月、米連邦最高裁が同性婚を新たに憲法上の権利と認め、全ての州に認定を義務づける判決を下した。5対4の1票差だった。反対者の1人スカリア判事は、憲法は結婚を定義する権限を最高裁に与えておらず「本日の司法クーデターに見られる思い上がり」は民主的な決定プロセスを破壊するものだと批判した。
 この時点で、ケンタッキーは同性婚を認めない州の一つだった。また州法は、結婚証明書に郡の書記官が署名すべき旨を定めていた。デービスさんが拒否したのはこの署名である。自分が同性婚の保証人となるのは耐えがたい、様式を変更してほしいとの上申書を連名で知事に提出している。署名なしなら機械的に処理する意向も示していた。ところが知事(民主党)は、「規定通りに署名し証明書を発行せよ。いやなら辞職せよ」と一蹴する態度を取った。
 結局デービスさんは、結婚証明書の様式変更があるまで発行を停止するという行動に出る。なお、郡の書記官(county clerk)は選挙を経た幹部職で、正規の弾劾手続きによらなければ解職できない。これに対し、同性婚カップルらがデービスさんを告訴、裁判所が証明書発行を命じる仮処分を下した。これにデービスさんが従わなかったため、法廷侮辱罪で収監となり、騒ぎは一層大きくなる。
 ≪何が騒ぎを拡大させたのか≫
 数日後、「判事の権限に基づく」と記した暫定様式で妥協が図られデービスさんは職場復帰、発行業務を再開した。知事もこれを有効と認めた。ところが左派の法曹団体「アメリカ自由人権協会」(ACLU)が、州法の規定通りでない証明書は無効として新たな訴訟を起こす。あくまでデービスさんに署名させろというわけである。不寛容は一体どちらなのか。
 ここにおいて世論の風向きが変わり出す。リベラル派のワシントン・ポスト紙も、「例えば多くの航空会社はイスラム教徒の客室乗務員に酒類の提供サービスを免除している。結婚証明書についても同様の対応が取れるはず。収監は過剰な権力行使だ」などとしたコラムを載せている。
 同年11月、ケンタッキー州で行われた知事選で、収監中のデービスさんを見舞うなど理解を示した共和党の新人が大勝した(なお、デービスさんは民主党員だったが、騒動の渦中、共和党に党籍変更している)。新知事は直ちに結婚証明書に書記官の署名を不要とする行政命令を出し、州議会も同趣旨の法律を通した。ここにおいて問題は正式に解消する。
 以上に明らかな通り、この騒ぎは、右派の不寛容というより、左派の不寛容により多く起因するものであった。「同性愛者の権利と信仰の自由のバランスをいかに取るか」をめぐっては、今年6月4日、最高裁が別の注目すべき判断を下している。
 ≪バランスを見いだす努力が重要≫
 2012年、コロラド州のケーキ店主ジャック・フィリプス氏がゲイ・カップルからのウエディングケーキの注文を、信仰を理由として断った。もっとも一般の商品やバースデーケーキなら売ると述べている。
 告発を受けた州の公民権委員会は、フィリプス氏の行為を「不当な差別」と認め、同性愛カップルにもウエディングケーキを製造販売するよう命じた。拒否すれば営業許可は取り消される。フィリプス氏は信仰に反して祝福を強要するのは憲法違反だとして、命令の撤回を求める訴訟を起こした。
 最高裁は7対2でフィリプス氏の主張を認めた。リベラル派の2人も賛成に回っている。法廷意見は次のように言う。公民権委員会は寛容の精神に基づき、同性愛者の尊厳と信仰の自由の両立を試みるべきだったが、職責を放棄し、フィリプス氏に一方的に「敵意」を向けた。「公聴会の場で、何人かの委員は、フィリプス氏の信仰を唾棄すべきものと退け、彼の誠実な宗教的信念を奴隷制やホロコーストを弁護する論理に例えた。これらのコメントに異議を唱える委員は一人もいなかった」
 到底バランスの取れた審議だったとはいえないというわけである。同性愛者が不当に差別されたり、辱められたりしてはならないことは言うまでもない。ただ寛容は双方向でなければならない。揚げ足取りに走り「ナチスの優生思想」などという言葉が飛び交う状況は果たして健全か。重要なのは具体的にバランスを見いだしていく努力である。(しまだ よういち)