【産経抄】8月3日 - 産経ニュース

【産経抄】8月3日

 明治は「女子に教育はいらない」という時代。昨日の「日本史ナナメ読み」で、本郷和人さんが書いていた。まして「女子が医者をめざすなどもってのほか」の風潮が強かった。
 ▼当時東京で唯一女子学生を受け入れていた私立の医学校、済生学舎も、風紀の乱れを理由に締め出した。そこで卒業生の吉岡弥生が、行き場をなくした後輩のため、明治33(1900)年に設立したのが、東京女医学校、現在の東京女子医大である。
 ▼120年近くたった今、医療現場で女性医師はなくてはならない存在である。今年の医師国家試験でも合格者9024人のうち、女性は3066人と34%を占めた。そんな時代に東京医科大が、医学部の一般入試で女子受験者の得点を一律に減点していたことがわかった。
 ▼医学部をめぐっては、文部科学省の前局長の息子を含め、毎年10人前後の受験生を不正に合格させていた疑惑が持ち上がっている。その捜査の過程で、発覚したようだ。泉下の弥生もあきれかえっているだろう。
 ▼女性医師は、結婚や出産を機に離職するケースがある。将来、系列病院での医師不足を回避するために、女子合格者の数を減らしたというのだ。女性医師が結婚後も勤務ができるよう、環境を整えるのが先決だろう。それでも解決が難しいというのなら、入試の募集要項に女子の定員を明記するのが道理である。
 ▼東京女医学校の第1期卒業式では、来賓の一人が女医亡国論をぶち、やはり来賓の大隈重信がその場を収めた。「10年ないし15年の歳月をもって事実に現れた成績の如何(いかん)によって、女医が適当か不適当かという結果がわかる」。隠れてこそこそ女子受験者の足を引っ張るやり方は、明治の世でも支持は得られまい。