【正論】最悪の米WTO離脱に備えよ 東洋大学教授・竹中平蔵 - 産経ニュース

【正論】最悪の米WTO離脱に備えよ 東洋大学教授・竹中平蔵

東洋大学教授・竹中平蔵氏
 トランプ政権が始まったとき、アメリカのある政治学者は次のように述べた。「この政権は、世界の貿易システムや通貨制度をどうするか、全く考えない。この国が悪いから叩(たた)く、この産業・地域が弱っているから助ける…。つまり総論がなくて各論だけの政権だ」
 ≪対立は当面続くことを覚悟せよ≫
 トランプ大統領就任以来、この通りの政策がいくつも採られてきた。その象徴が、2国間の貿易収支に執着した制裁措置の発動である。そして当面の標的を、アメリカの貿易赤字の5割近くを占める中国に置いている。大国間での貿易戦争は世界的な攪乱(かくらん)要因となる。最近になって、中国を含む複数の国の報復措置に対し、アメリカが世界貿易機関(WTO)に提訴するという事態に発展した。
 言うまでもないが、貿易収支の黒字が良くて赤字が悪いという重商主義的発想は誤っている。ましてや2国間の収支に固執するのは比較優位の否定であり、経済学的に全く支持されない。自由貿易が利便をもたらすことについては、長年に亘(わた)る多くのエビデンス(証拠)がある。しかしトランプ政権の特徴は“エビデンス”ではなく、自分はこれまでの大統領とは違うという、選挙のための政治的“エピソード”を重ねることにある。そしてこの姿勢は、今秋の中間選挙を前に益々(ますます)強まっている。
 中国は国家資本主義の下に、通常の市場経済とは異なるメカニズムで経済力を強化してきた。その結果、日米を含む市場経済の国々に脅威をもたらしていることは確かだ。こうした点も踏まえアメリカ国内でも、トランプ氏の強硬な姿勢を支持する声は小さくない。
 しかし貿易の制限は結局のところ消費者の負担を大きくし、経済を弱体化させる。またいまやグローバル経済は「統合」されており、世界的な規模でサプライチェーンが成立している。突然の関税引き上げはサプライチェーンの破壊を意味し、アメリカを含む多くの企業活動を萎縮させるだろう。
 ただし、今年から実施された大型の法人税減税に支えられて当面のアメリカ経済は好調だ。不毛の貿易戦争の弊害がはっきりと見えるまで、時間がかかる。従って、この貿易戦争は当面続くことを覚悟しなければならない。
 ≪中国は為替レート操作で対抗か≫
 対する中国も、激しく報復措置をとっていくだろう。ただしアメリカの中国からの輸入が約5000億ドルなのに対し、中国の対米輸入はその3分の1程度だ。今の延長の報復合戦では、中国は不利な立場にある。その際、中国は為替レートの操作を含めて幅広い対抗措置をとると予想される。中国の中央銀行(中国人民銀行)は独立性がなく、国務院の中つまり政府の中にある。従って、為替レートは政治的意志を強く反映する。
 現実にアメリカが鉄・アルミの追加関税を決める直前の2月末には、元レートはトランプ氏就任直前時点から約1割下落した。これは25%の追加関税の約4割を相殺する計算になる。元安政策がとられれば日本にも影響が出る。
 以上のような米中貿易戦争の中で、日本としては幾つかの視点を持っておく必要がある。
 第1は、トランプ政権はネガティブな面の一方で、したたかな外交戦術も有している。それはハイテク覇権をめぐる米中戦争という視点だ。中国は「中国製造2025」という政策を策定し、2025年までに「世界の製造強国入り」を果たすと宣言。海外企業に買収攻勢をかけている。こうしたなかアメリカは、ハイテク産業での覇権維持を明確に意識し、6月半ばに追加関税の対象に半導体や半導体製造装置を加えた。
 ≪威信懸けたハイテク覇権の争い≫
 第2は、トランプ氏はさまざまな発言で一見ブレるような姿を見せつつも、結果的に大幅な法人減税など、選挙公約で掲げたことをかなり実現しているという点だ。
 これは、大統領周辺の人材が、グローバリストから選挙参謀型の人脈へと大きくシフトしていることとも関係している。その点で今回アメリカが、中国や欧州連合(EU)などの対米報復措置を捉えてWTOに提訴した点が注目される。アメリカが完全に満足するような結論が下されるとは考え難いが、そうすればトランプ氏にとって、アメリカがWTOを離脱する絶好のエクスキューズになりうる。周知のようにトランプ氏は、大統領選挙の最中からWTO不要論に近い発言を繰り返している。
 日本としては、最悪の事態も念頭に入れ、自由貿易を促進する努力を積み重ねるしかない。その点で、アメリカ抜きの環太平洋戦略的経済連携協定(TPP11)をまとめ、日EU経済連携協定に漕(こ)ぎ着けた努力は、自由貿易の防波堤構築として高く評価される。
 今後、日米2国間不均衡の8割を占める自動車の分野で何が起こるか、注視すべきことは言うまでもない。今回の問題は単なる貿易戦争を超え、大国の威信を懸けたハイテク覇権の争いである。アメリカのWTO離脱といった最悪シナリオも想定して、十分な対応が必要である。(たけなか へいぞう)