ドーハからカタールへ 

別府育郎のスポーツ茶論

 2022年ワールドカップ(W杯)カタール大会を目指すサッカーの日本代表新監督に、森保一(もりやす・はじめ)が就任した。初の元Jリーガーによる代表監督である。

 森保は、オフト監督の秘蔵っ子として「ドーハの悲劇」を戦ったJリーグ草創期の選手だ。ドーハからカタールへ。それは、Jの歴史そのものである。

 岡田武史、西野朗は日本リーグ時代の代表選手だった。ドーハ組からは長谷川健太や井原正巳、高木琢也らがJ1で監督の実績を積んでいる。1998年フランス大会でW杯初出場を果たした代表からも名波浩、山口素弘らが続き、2002年日韓大会からは、宮本恒靖がガンバ大阪の監督に就任した。今後も、元Jリーガーが日本のサッカー界を牽引(けんいん)することになる。

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 プロ化後の日本人監督としても次のW杯まで4年の任期を与えられた初の本格契約である。

 岡田、西野は前任者の成績不振や急病による緊急避難であり、加茂周も前任者ファルカンの解雇で代表監督のお鉢が回った。それだけに、森保にかかる期待は大きく、責任は重い。

 長崎の無名の高校生だった森保をプロに誘ったのはサンフレッチェ広島の前身、マツダの総監督を務めた今西和男である。オフトをマツダ監督に招聘(しょうへい)したのも今西であり、オフトは森保を重用し、代表選手に抜擢(ばってき)した。

 加茂の代表監督時代、協会強化委員会が途中解任に動き、後任選びに奔走したことがある。委員長の加藤久はネルシーニョを、現会長の田嶋幸三は名古屋の監督だったベンゲルを推し、副委員長の今西はオフトの返り咲きを主張した。

 一度はネルシーニョに決定しかけたが、当時の会長、長沼健ら協会幹部の反対で急転し、加茂の続投が決まったと記憶する。後にW杯最終予選の不振で加茂は解任され、岡田が指揮権を引き継いだ。

 3氏の誰かが代表を率いていれば日本のサッカー史は変わっていたか。歴史に「たられば」は存在しないが、若い森保の代表監督就任は今西やオフトのリベンジのようにも映るのだ。

 もちろん、経営難の広島を率いて4年間で優勝3度の見事な実績は森保自身のものだが。

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 不安もある。

 森保が代表でボランチとして活躍した時代は、全選手が日本国内でプレーしていた。フランス大会も同様である。先のロシア大会のベルギー戦では、先発した日本の11人中10人が欧州のクラブに在籍していた。

 対して森保には、海外での指導経験がない。

 ラグビーのW杯で日本を率いて強豪南アフリカを倒し、世界を驚かせたエディ・ジョーンズが日本記者クラブで行った退任会見を思い出す。後任人事について「日本は日本人のコーチを求めている」と前置きし、こう述べた。

 「もし自分が日本人で代表のコーチをしたいと考えるなら、海外に出向く。スーパーラグビーやプレミアシップでトップレベルのコーチングを学ぶ。日本にいる日本人コーチは、そうすべきだ」

 金言であると思う。だがもう、森保に任せたのだ。彼の同世代には、欧州でコーチ経験を積む藤田俊哉らの存在もある。総力を結集して好漢の新監督を支えてほしい。

 サッカーのW杯では、自国出身の監督以外、W杯の優勝に導いていないという歴史的事実もある。