宗教対立の時代こそ「共存」を 東京大学名誉教授・平川祐弘 

正論
東京大学名誉教授・平川祐弘氏

 昔はキリスト教徒やイスラム教徒や仏教徒は、諸大陸に住み分けたとはいわぬが、ほぼ別々に生活していた。それが交通手段の発達で移動しやすくなりグローバリゼーションが始まった。生活向上を願い移民が、戦乱の母国を捨てて難民が、先進国を目指す。他方、豊かな国は安い労働力を求める。

 しかし、言語習慣が違うために衝突が起こり、治安は悪化する。排他的な一神教を奉ずる集団は容易に同化しない。事態は深刻だ。欧米では「反移民」を唱える政治家が当選し政情は不安定だ。

 宗教背景の相違に発する対立が目立つ人類文化史の新局面だが、日本も介護や単純労働などさまざまな分野で外国人労働力が必要だといわれる。では、日本は過去に自分達が受けた宗教的誤解を正確に理解しているのか。一神教ではゴッドが人を創るが神道では人が死んで神になる、その違いをわきまえているのか。

 ≪日本では神も仏も同居する≫

 戦時中、米国側は、日本兵は国家神道の狂信者で God-Emperorのために「天皇陛下万歳」と叫び死を恐れず戦う、と説明した。それに対し昭和21年元旦の詔書で、天皇は西洋のゴッドの意味での神ではない、それは「架空ナル観念」だと説いた。

 米国はまた「日本は神道を国教 State Shinto とした」と非難した。戦時中、宮城遥拝はあったが、宗教の授業も神道の教育もない。それではたして国家宗教といえるか。「陛下万歳」とはナポレオン皇帝の部下も叫び、英国は今も「女王の海軍」と言う。

 実は「神道とは何か」ときちんと教えられないからこそ、日本人は外国人に聞かれても返事できないのだ。家に仏壇も神棚もあるが二つの宗教をいうのを恥じて「私は無宗教」とごまかしたりする。

 宗教観は国で違う。大統領選挙はフランスではカトリックと無宗教の人が競うが、ドイツでは新教と旧教が注目される。米国では「無宗教」は「不信心」と同じである。

 それだけに日本人の半数が「無宗教」と答えるから米国人は驚く。それでいながら「無宗教」の人も寺では手をあわせる。正月には300万人が明治神宮に参拝する。クリスマスにバチカンに集まるカトリックよりも多い。本人に自覚はないが日本人は信心深いらしい。神にも仏にも祈る。

 ≪和を基本に置いた聖徳太子≫

 身内がキリスト教の洗礼を受けるというから、「これから先、神棚にも手をたたいてお詣(まい)りをするかね」と聞いたら、「お詣りする」と答えた。

 「それがいい」と言う私はお経を読まないが、それでも寺に寄ると賽銭(さいせん)をあげて合掌する。神前では威儀を正し、かしわ手を打つ。以前は寺にも神社にも祈る自分は何教か、とこそばゆく感じた。

 とくに「日本は人口1億2000万人だが、神道は9100万人、仏教徒は8700万人で合計は1億7800万人。総人口より多い」と西洋人に皮肉られると、返答に窮し、「お宮さんは地域住民をみな氏子に、お寺さんは葬式の際に坊様を呼ぶ人は信徒に数えるから」などと自己卑下的に釈明した。

 だが近頃は「同じ一人が神仏をともに拝んで悪いことはない。複数宗教の共存はいい」と思うようになった。

 この平和共存は聖徳太子が十七条憲法第一条で「和ヲ以テ貴シトナス」と諭した七世紀に始まる。大陸文化導入を機に力を伸ばす蘇我氏と、それに敵対する物部氏との抗争を目撃した太子は、仏道を尊びつつも、一党の専制支配を懸念(けねん)し、支配原理でなく「以和為貴」という共存原理を国家基本法の第一条とした。

 ≪異教の習合は西洋にもあった≫

 今度の新しい日本憲法も第一条でこの複数価値の容認を唱えるがいい。日本人の大多数は和の精神を尊ぶ。これは十戒の第一条に「汝我ノホカ何物ヲモ神トスベカラズ」という一神教の排他的な主張と違い、寛容の徳を説いているからだ。

 神道は相手が複数価値の共存を認めるかぎり、他宗教を受け入れた。日本で仏教は神道化し、神道は仏教化した。社会で神仏の間におおむね融和が保たれてきた。仏教は伝教の際、土着の神に気をつかった。京都の寺には隅に必ず小さな祠(ほこら)があり八幡さまが祀(まつ)られている。八幡は武の神で古代西洋でいえば軍神マルスだ。

 しかし都市国家フィレンツェはキリスト教を受け入れ、洗礼者ヨハネを守護聖人とした際、アルノ川の橋のたもとにあったマルスの像を異教の偶像として破壊した。それがよくなかった、そのたたりでフィレンツェは戦争にいつも負ける、とダンテは述べている。

 神仏習合の日本では天照大神を大日如来とする本地垂迹(ほんじすいじゃく)説が行われたが、『神曲』煉獄篇六歌ではキリスト教のゴッドをギリシャ神話の最高神ゼウスだとして、その名で呼びかけている。西洋にも大宗教と異教の神話を習合させた時期はあったのだが、それを知る人は少ない。(ひらかわ すけひろ)