発生2週間で訪れる被災者の変化…阪神大震災下の連載から 論説委員・河村直哉

日曜に書く
 店舗が水害で浸水したため、屋外で無料でカットをする理髪店=20日、岡山県倉敷市(鳥越瑞絵撮影)

 古いスクラップ帳がある。

 平成7年1月17日の阪神大震災発生後しばらくして、神戸の若い精神科医に産経新聞夕刊で連載を始めてもらった。

 この医師については何度か書いてきた。震災時、神戸大学医学部の助手だった安克昌(あん・かつまさ)さんである。12年、39歳で亡くなった。

 昨年、東日本大震災に関し、必要なら何度でも安さんの仕事について語ろう、と当欄で書いた。また書くことになるのは、実はつらい。大きな災害が起こってしまった。

 ◆立ち返られるべき仕事

 けれども安さんの仕事は、本当に何度でも振り返られ、立ち返られるべきものなのである。

 がれきとなった神戸を奔走しながら、彼は被災者の精神的な傷つきに向き合っていった。

 「被災地のカルテ」と題した連載は、大震災から約2週間後の1月30日に始まっている。精神科医としての激務をこなしながらの執筆だった。断続的に約1年間続き、改稿、加筆されて『心の傷を癒すということ』という単行本になった。

 スクラップ帳は時系列になっているので、被災地に起こっていた精神的な問題を、リアルタイムで感じることができる。

 今でこそ災害がもたらす心的外傷や心のケアの重要性は広く知られているが、当時は手探りだった。

 連載2回目で安さんは早くも心的外傷を取り上げた。被災していながらいつも以上に仕事に打ち込む人について触れ、「よくみると、表情が堅かったり、声が一本調子だったりする。けっして『大丈夫』ではない」と注意を促している。引用は新聞連載時の文章による。

 避難所訪問も1月に始めた。知った顔でアドバイスするのではなく、安さんは被災者の話にまず耳を傾けようとした。今ではこれらは、「アウトリーチ」や「傾聴」というケアの手法として定着している。

 ケアは専門家だけにまかせてすむものではないということも、早い段階で訴えた。

 「心のケアの問題を精神医療や精神保健の専門機関にかぎらないでほしいと私は思う。…被災者と接する業務を行っているあらゆる機関で、心のケアの問題を頭の片隅においていただきたい」(3月11日付)

 ◆時間の経過とともに

 被災地でのさまざまな精神状態を安さんは書きとめた。生き残ったことへの罪悪感。同じ体験をした人でなければわからないだろうけれど、それでもわかってほしいという被災者の思い。多岐にわたる報告の中で変わらないのは、共感しながら被災者の話に耳を傾け、回復を願う安さんの姿である。

 時間の経過とともに被災者の精神状態が変化しているという指摘を、今、参考にしたい。

 大震災後しばらくは、躁(そう)的な状態が多かったと安さんは書いている。早口、大声で被災状況を語る人。当面は必要ないものまであちこち駆け回って買い集め、忠告した息子に「大きな余震が来たらどないするんや!」と食ってかかる人。

 こうしたケースに共通するものとして、安さんは2つの点を挙げている。不安が気分を高揚させていること、危機を乗り切ろうとする強いエネルギーが放出されていること、である。

 「かなりの人たちが最初の一、二週間は躁的だった。…非常事態をのりきるためには、“お祭り”のような高揚感が必要なのだろう」

 大震災から約1カ月後の2月18日付の原稿でそのように分析しつつ、こう書いた。

 「長い祭りに、私たちはそろそろ疲れはじめている」

 ◆西日本豪雨の被災地へ

 西日本豪雨の被災地は、発生から2週間が過ぎた。

 安さんの考察に学ぶならば、非常事態を乗り切るための高揚した時期から、疲れが出始める時期へと移っていくのかもしれない。時間の経過とともに、必要な支援は物的にも精神的にもさまざまに異なってくるだろう。

 確かなのは、安さんが書いたように、被災者の精神的な支援は専門家だけにまかせてすむものではないということである。たとえば共感しつつ静かに話を聞くことは、機会があるならだれにでもできる。

 被災者の痛みを共に感じようとする姿勢を、私たちは忘れてはなるまい。

 廃虚となった街から若い精神科医が発信し続けてくれたのは、そのことではなかったかと思っている。(かわむら なおや)