7月20日

産経抄

 一昔前「一杯のかけそば」の童話が話題になった。浅利慶太さんにとっては「実話」である。「今の新劇は言葉がはっきり聞き取れない芝居と、特定の旗印や思想しか掲げない芝居、この2つしかない」。

 ▼劇団四季の結成直後は、盟友の故日下武史さんとこんな話ばかりをしていた。ある日、かけそばが20円から30円に値上げしていた。40円しか持っていない2人は、1杯を分け合いながら演劇の話を続けた。

 ▼フランスの近代劇を主に上演していた劇団が、東京五輪が開催された昭和39年に転機を迎える。ミュージカルの本場ブロードウェーの「ウェストサイド物語」の日本公演が実現した。25回見た浅利さんはコツを覚えた。「キャッツ」「ライオンキング」「オペラ座の怪人」…。劇団の舞台でミュージカルの魅力の虜(とりこ)になった人は数多い。

 ▼「浅利慶太は楽しませ手であって、演劇の極北を目指す芸術家ではない」。慶応大学の同級生で、後に文芸評論家となる江藤淳さんの予言通りだった。「ミュージカル李香蘭」「異国の丘」「南十字星」の「昭和3部作」も、劇団の大切なレパートリーとなった。「前世紀の悲劇を語り継ぎたかった」浅利さんによるオリジナル作品である。

 ▼演出力は、政治家からも頼りにされた。中曽根康弘首相がレーガン米大統領を日の出山荘会談でもてなしたのは、浅利さんのアドバイスである。佐藤栄作首相の退任会見で起きた新聞記者との衝突事件も、浅利さんが現場にいれば丸く収まっていたかもしれない。

 ▼「権力に振り回されない自信がある」。政界とのつながりを批判されても、平然としていた。反権力を権威の証しとしてきた新劇に対する、かけそば時代から変わらない反骨でもあったろう。