水災害を国土強靱化につなげよ 帝京大学名誉教授・志方俊之

正論

 ≪特別警報でみられた意識の差≫

 7月5日から降り始めた梅雨前線による豪雨は、13府県に及ぶ広い地域に損害をもたらした。現在わかっているだけで、死者・不明者が二百数十人に達するという、まさに平成に入って最悪の「水災害」となった。

 気象庁は大雨特別警報を出して自治体および個人に注意を喚起した。加えて、長く続く豪雨を予測し「数十年に一度の降水量が予想される」と、迫りくる危険の回避を呼びかけたのである。

 特別警報は東日本大震災の経験から、気象業務法に新たに加えられた警報(2013年8月)である。そのうち大雨特別警報は、京都・滋賀・福井地方を襲った同年9月の台風18号の際に発令されるなど、幾つかの事例がある。

 今回の大雨特別警報では、警報を出す側と受ける側に意識の差があったように思える。市民には近づいてくる台風には「備える」という意識が働くが、降り続く梅雨には「耐える」「待つ」という経験があった。だからこそ、気象庁は直ちに命を守る行動をとる特別警報を出したのである。

 この豪雨の第一の特徴は、一部の地域で自治体が出す避難指示などの警報が間に合わなかったことだ。たとえ国が警報を出し、自治体が指示を出しても市民には対応する暇がなかったことである。

 一部の河川では、上流の貯水ダムで緊急放流せざるを得なくなり、堤防が壊れ、住宅地が広範囲に水没した。このような被害状況は、台風や高潮、津波では想像されるが、今回は梅雨によって起きた。まさに専門機関ですら予想が難しい強烈な雨量だったのである。

 第二の特徴は、13府県にわたる広範囲な地域が被災したことである。土砂災害によって、地域間を結ぶ交通インフラが破壊され多数の集落が孤立した。そのため、当初の救命活動は被災地ごとに対応せざるを得なかった。

 ≪ハードとソフトの組み合わせを≫

 人間の知恵は、いまだ自然現象を制御するまでには至っていない。台風の大きさや進む方向を変えることはできない。地震の発生位置や時期を変えることもできない。今われわれにできることは、自然現象の特性を知ること、そして、それが人間社会にもたらす被害を想定することにすぎない。

 しかしできることが1つある。それは異常な自然現象による犠牲を1人でも2人でも少なくすることだ。失われた人命は戻らないし、家族の精神的苦痛を癒やすことはできないが、家屋や道路、橋は再度つくり直すことはできる。

 災害対策基本法も国土強靱(きょうじん)化基本法の精神もそれに尽きる。法律は、そのための国や自治体、個人の責務や態勢、多方面の施策などを規定している。

 これまでにあった幾つかの苦い被災体験から、われわれは数多くのことを学び取ってきた。そのうち重要な点は、災害対策はソフトウエアとハードウエアの組み合わせで行うことである。

 ダムをつくり、堤防を高くし、頑丈な橋を架け、建物を頑丈にしても、ハードの面だけでは対応できない。それを強化するには多大な予算を必要とする。中小自治体にとっては重荷である。

 逆に、ハザードマップや規則を作り、訓練を行い、非常用物資を備蓄しても決して十分とはいえない。一口に災害対処訓練といっても手間と予算を必要とする。それでなくても、自治体には生活保護や介護など山ほどの仕事がある。

 両方を同時進行させられないとなれば、優先順位をつけて選択しなければならない。自治体における優先順位のつけ方と、これに助言を加える都道府県や国の政治的な配慮が重要になってくる。ソフトとハードを組み合わせることの重要性も国土強靱化基本法の方針の一つに明確に示されている。

 ≪自治体は「空振り」を恐れるな≫

 自治体における予算の推移をみると、社会保障関係費は漸増の傾向にある。教育費や産業経済費は何とか横ばいだが、気になるのは、国土・保全開発費の低減が続いていることである。いわゆる「ハコモノ」を悪者にする政治的風土があったからではないのか。国がつくるものと、自治体がつくるものが同一視され、政治的に利用される傾向があった。

 国土強靱化基本法の方針には、国および社会の重要な機能が致命的な障害を受けず、公共施設にかかわる被害を最小化し、緊急性の高い場合には国が中核的な役割を果たすことなどが示されている。

 自治体は「空振り」を恐れず避難情報を発令しなければならない。ダムの緊急放流のような緊急時の判断は「善」をとるか「悪」をとるかではない。「悪」をとるか「最悪」をとるかの判断なのである。

 経験したことのない豪雨災害ではあったが、気象庁の特別警報発令、警察・消防・自衛隊の緊急出動と現場での迅速な協力、自治体間の支援員派遣、政府としてのプッシュ型の支援指示が行われたことは一つの前進であったと思われる。(しかた としゆき)