【国語逍遥】(99)セシールCMのフランス語は「幸せそう」? 聞きなしは気持ちや環境うつしだす 清湖口敏 - 産経ニュース

【国語逍遥】(99)セシールCMのフランス語は「幸せそう」? 聞きなしは気持ちや環境うつしだす 清湖口敏

セシールのサウンドロゴは何て聞こえる?
 通販大手のディノス・セシールが先頃、面白い調査結果を発表した。
 20~60歳代の男女計千人を対象に、「セシール」のテレビCMで流しているフランス語のサウンドロゴがどのように聞こえているかという「空耳実態調査」を実施したのである。
 ああ、あのフレーズかとピンときた読者も少なくなかろう。カタカナで表せば「イロッフル・サ・コンフィアンス・エ・ソナムール」。「愛と信頼をお届けする」の仏訳だそうだ。
 CMでの使用開始は昭和58年と古く、一時の中断をはさんで昨年、23年ぶりに復活した。当初から「何と言っているのか」との問い合わせが多かったという。
 選択回答の結果は別掲グラフの通りである。1位の「しもふさ君 幸せそうなのに」から5位の「白くまくん 幸せそうなの」まで、全てに「幸せそう」が含まれている。自由回答でも「フィアンセ 幸せそう」(30代女性)、「幸せそうなたぬき君」(20代男性)といったように「幸せそう」が多く目につく。
 ここで本論に入る前に、調査で銘打たれた「空耳」という言葉に触れておきたい。大抵の辞書が「音や声がしないのに聞こえたように感じること」「聞いて聞かないふりをすること」と定義していることでも明らかなように、「どのように聞こえるか」の意味で空耳を使うのは必ずしも伝統的な用法とはいえない。
 ただ、三省堂国語辞典は空耳に「聞きまちがい」の語義を加え、テレビ朝日系の深夜番組「タモリ倶楽部」にも、外国アーティストの楽曲の一部について「言われてみればそのように聞こえる」という「空耳アワー」がある。この種の「空耳」が一般化してきているのかもしれない。
 セシールの調査をもし、伝統的な言い方で表すとすれば、「聞きなし(聞き做し)」(動詞は「聞きなす」)ということになろうか。聞きなしは従来、主に鳥の鳴き声に関して使われてきた言葉だが、外国語の聞こえ方にまで範囲を広げても特に問題はあるまい。
 鳥の声の「聞きなし」については擬声語研究で知られる国語学者、山口仲美さんの著書『ちんちん千鳥のなく声は』に分かりやすい解説がある。カラスのカアカア、スズメのチュンチュン、ウグイスのホーホケキョなどは鳴き声を聞こえるままに写し取った言葉で、山口さんはこれらを「写声語」と呼ぶ。
 これに対しカラスの声を「阿呆(アホウ)阿呆(アホウ)」と聞いたり、ウグイスの声に「法華経」の意味を担わせたりするなど、鳴き声を私たちが普段使う意味ある言葉にあてはめた場合、これは「聞きなし」になるという。
 このことを踏まえたうえでいま、2種の国語辞典で「ほととぎす」を引き、鳴き声に触れた箇所を比べてみると、聞きなしに関する明確な違いが見てとれる。
 「キョキョキョと鋭く鳴く声は、俗に『テッペンカケタカ』と聞こえるという」(新明解国語辞典)
 「するどい声で、『テッペンカケタカ』と鳴く」(三省堂国語辞典)
 いかがだろう。前者は先にキョキョキョの写声語を紹介し、「テッペンカケタカと聞こえる」というふうに聞きなしにも言及している。親切な書きぶりだ。対して後者は、「テッペンカケタカ」が写声語であるかのような印象を与え、不誠実のうらみが否めない。
 『バードウォッチング』(講談社カルチャーブックス)には34種もの鳥の声の聞きなしが列挙されている。先に挙げたウグイスの「法法華経」や、「土喰(く)って虫喰って渋ーい」(ツバメ)「一筆啓上仕(つかまつり)候(そうろう)」(ホオジロ)など比較的よく知られたもののほか、「競輪競輪でパー」(アカハラ)「焼酎一杯グイー」(センダイムシクイ)「俺ルリビタキ!」(ルリビタキ)…と、思わず噴き出しそうな聞きなしまである。
 「聞きなしは、写声語とちがって、そう聞きなす人間の気持ちや環境をうつしだすので、興味ふかい」。同書で山口さんはこう述べ、カラスの「阿呆阿呆」も、あることに失敗して一人滅入(めい)っている折にカラスが鳴いたとき、そんなふうに聞こえたりすることはないだろうかと問う。
 普通は「チョット来い、チョット来い」と聞きなされるコジュケイだが、子供におやつをよくねだられる環境にあるお母さんには、「ナンカ呉(ク)レッ、ナンカ呉レッ」と聞こえた例も紹介している。聞き手の気持ちが反映しているのだ。
 セシールの「空耳実態調査」で「幸せそう」が上位にずらりと並んだのも、CM視聴者の「セシール」ブランドに対する憧れや、商品を手にするだけで幸せな気分に浸れそうなワクワク感などが反映した結果とみることもできようか。
 敷衍(ふえん)して言えば日常の日本語会話でも私たちは、われ知らず「聞きなし」をしていることがあるはずだ。相手との人間関係やその場の気持ちによって人の言葉をつい、聞きたいように聞いたり、忖度(そんたく)して聞いたりしてしまう。その結果、話者の真意が歪(ゆが)められる事態も当然起きるだろう。
 国会でしばしば問題になる「政治家の意向」をめぐっても、そこに「聞きなし」などは全く介在しないと、いったい誰が言い切れようか。