保管された9条「怪文書」の謎 駒沢大学名誉教授・西修

正論
駒沢大学名誉教授・西修氏

 「森友」「加計」「日報」など、公文書の管理をめぐって大きな問題になっている。いやしくも公文書が改竄(かいざん)、隠蔽(いんぺい)されるべきでないことは当然だ。

 ところで、「改竄された非公文書」が国立の公文書館に保管されていたら、どのように取り扱われるべきであろうか。しかもそれが、日本国憲法の成立過程に微妙かつ重大な影響を与える文書であるとすれば…。

 ≪GHQが文言の追加を指示≫

 事態を簡単に説明しよう。この怪文書(以下でX文書という)は、憲法9条の発案者にかかわるものである。周知のように、9条の発案者をめぐっては諸説あるが、究極のところ、連合国軍最高司令官・マッカーサー元帥発案説か、ときの首相・幣原喜重郎発案説かに分かれる。

 一般にはマッカーサー発案説が有力であり、マッカーサーもその幕僚たちも、占領政策としての日本非武装化の延長線上に戦争放棄条項を日本国憲法へ導入したことについて、その先見性を喧伝(けんでん)していた。しかし、1950年6月25日に朝鮮戦争が勃発すると一転し、その非戦略性と空想性が批判されるようになる。

 マッカーサーは朝鮮半島有事に対処するため、同年8月10日、自衛隊の起源にあたる警察予備隊を設置すべく政令を発し、7万5千人の制服隊員の募集を「許可」した。

 戦争が激化した同年11月、ニッポン・タイムズ社の村田聖明記者が、その前年に連合国軍総司令部(GHQ)民政局により刊行された『日本の政治的再編成』(Political Reorientation of Japan)を読み、読者に紹介したいと考えた。おおやけにされているので問題はないと思ったが、念のためGHQへ原稿案を持参したところ、担当の少佐から2、3日後にX文書が渡され、一つだけ条件がつけられた。

 当該X文書には、戦争放棄条項を定めたマッカーサー・ノート第2原則に、以下の文言をかっこ書きで加えよ、と記されていた(この考えは、最初に当時の幣原首相から最高司令官に提起され、司令官は直ちにこれに心から支持を与えた)。

 ≪マッカーサーに相談した?≫

 要するに、戦争放棄条項は幣原首相の発案によることを明記することが、掲載の条件だったのである。X文書には日付も署名も記されていなかった。『日本の政治的再編成』のどこにもかっこ書きがない。まさに改竄文書である。

 なぜこのようなかっこ書きが必要だったのか。それは、日本の憲法に戦争放棄条項を押しつけたGHQの責任が米国本土や国際社会で問われるかもしれないことを恐れたからである。村田記者は、このかっこ書きはマッカーサーとの相談のうえ加えられたのではないかと推測している(読売新聞、76年6月4日)。

 それからすでに68年が経過している。私は先ごろ外交史料館を訪れたら、X文書がまったく関係のない「皇室典範に関する交渉の経緯」という資料の末尾に1枚だけ挟み込まれていた。「帝国憲法改正関係資料集」第1巻には、この資料を含む多くの文書が収められており、すべて「目次」が付されている。X文書は、「目次」には記載されていない「非公文書」である。

 いったいX文書は、いつ、だれが、どんな経緯で、なぜ外交史料館に保管されるようになったのか、不明のままだ。もちろん、記録として、新聞などを参考に残しておくことは有益である。ただその際、日付が付され、保管する理由が第三者に理解されるように整理されるのが通常である。

 ≪外交史料館は適切な処理を≫

 えたいの全く知れないX文書は、外交史料館に保管されておくべきなのか。護憲派は、9条について幣原発案説をとり、日本国憲法の「押しつけ性」を否定している。私が強く懸念するのは、外交史料館に正体不明のX文書が残され、後世のひとたちがこの文書をよりどころに幣原発案説を唱えるのではないかということである。

 私はX文書を、手続きを経て廃棄するか、あるいはその残されている経緯を付したうえで保管することが、適切な処理方法でないかと考える。

 最後に、私が民政局でマッカーサー草案の起草に参画した2人から聞いた証言を紹介しておこう。一つはフランク・リゾーの言辞で、マッカーサーの無二の部下を自任していた民政局長のコートニー・ホイットニーが、彼にこう述べたという。「朝鮮戦争が始まる前は、9条の発案はアワー・オールドマン(マッカーサー元帥を指す)と言っていましたが、戦争後はユア・オールドマン(幣原首相を指す)と言い始めました」

 もう一つは民政局次長で、マッカーサー草案作成の中心人物、チャールズ・ケーディスの言葉である。「私は、マッカーサー・幣原会談に同席していないので真相は分かりませんが、いろいろなことを考慮した結果、ミステリアスというのが私の結論です」(にし おさむ)