新元号は天皇ご即位後に発表を 国士舘大学特任教授・日本大学名誉教授・百地章

正論
国士舘大学特任教授、日本大学名誉教授、百地章氏

 ≪「便宜主義」が先行していないか≫

 御代替わりに伴う新元号の事前公表について、現在、政府では1カ月前の公表を想定して、準備を進めているという。国民生活に支障が生じないようにとの理由によるもので、このような配慮はよく分かる。しかし、これまでの議論を振り返ると、まず「事前公表ありき」の感があり、元号の本来の意味や皇室の伝統を無視した「便宜主義」が先行していないか危惧を覚える。

 歴史的・伝統的には、天皇に元号の制定権があり、「天皇の統治権が最も名目化した戦国時代でさえ、天皇は元号制定権と官位授与権を有していた」(石井良助『天皇』)。これを成文法化した旧皇室典範は「践祚(せんそ)〔即位〕ノ後元号ヲ建テ…」(12条)と定めていたが、戦後、この典範は失効し、昭和54年に国民の強い要望を受けて「元号法」が制定された。

 元号法では「元号は、政令で定める」(1項)とされ、内閣に元号制定権が認められることになった。しかし、皇室の永い伝統を踏まえ、先の御代替わりの際には、元号を正式に決定する閣議の前に今上陛下に新元号案が上奏され天皇の「ご聴許」を得ている。これこそ、国民主権のもと天皇を「国民統合の象徴」と仰ぐ新憲法下の改元に相応(ふさわ)しいものといえよう。

 政府は、次の御代替わりについても「憲法の趣旨に沿い、かつ皇室の伝統等を尊重」「平成の大礼を踏襲して挙行する」(政府・式典準備委員会)としており、新元号の決定についても、当然、新天皇のご聴許をお願いすべきであろう。となれば、そもそも新天皇のご即位以前に新元号を決定し、事前に発表することが果たして妥当なのか、再検討をする必要があると思われる。

 ≪事前公表は法的にも疑問が残る≫

 元号法によれば「元号は、皇位の継承があった場合に限り改める」(2項)とされている。条文を素直に読めば「皇位の継承があった場合」つまり「ご即位後の改元」を想定したものであることは間違いない。旧皇室典範では「践祚〔即位〕ノ後」とあり、元号の制定は即位後であることが明記されていた。

 歴史的にも、第50代の桓武天皇以降、即位に伴う改元(代始改元)は、「平成」に至るまで70回あったが、いずれも即位後に行われており、即位前に改元された例など一度も存在しない(神社本庁総合研究部長心得・浅山雅司氏の研究報告による)。

 これは、当然だろう。改元は国の安泰と国民の平安を願って続けられてきたものであり、特に「代始改元」は、天皇が即位後、新たな時代の理想と願いを込めて行われたものだからだ。

 この伝統を尊重するならば、現行憲法下では、天皇のご即位後に「ご聴許」を得た上で内閣が新元号を正式に決定、それを新天皇が「公布」(政令へのご署名・押印)し、その上で国民に発表するのが最も自然であろう。

 この点、正式決定前に公表してしまうのは疑問だし、御代替わりの1カ月前に閣議決定と天皇の「公布」を行い、新元号を発表、5月1日を「施行日」とする案も、今上陛下の下での改元となってしまうから、支持できない。

 また、1カ月前に行うのは閣議決定と新元号の公表にとどめ、「公布」および「施行」を5月1日に先延ばしする場合も、閣議決定前に新天皇の「ご聴許」を得ることはできない上、元号の「決定」から「公布」まで1カ月もかかってしまうから、これも賛成できない。

 ちなみに、平成29年1月から本年6月までに制定された514本の政令は、ほとんど7日以内に公布されている。これを見ても、閣議決定から1カ月も経過した後に「公布」することなど、考えにくいであろう。従って、元号の事前公表については、法的にもさまざまな疑問が残る。

 ≪読み替えや移行期間で混乱防げ≫

 他方、新元号の発表を新天皇ご即位の5月1日とした場合に予想される国民生活への支障を最小限に抑える方策としては、昭和天皇の崩御に伴う平成の御代替わりを参考にすべきだろう。

 当時、政府は「国民生活への影響を軽減する基本方針」を立て、すでに発行されている証明書類(運転免許証など)や手形・小切手などの有効期限、支払期限などについては、新しい元号に読み替え、窓口業務(出生届など)では新元号のゴム印を用意することで対応した。また、地方自治体では新元号に改めるための条例を、自治体ごとに制定している。

 であれば、今回は元号切り替えのための可能な限りの事前準備はもちろんだが、新元号への読み替えや窓口での訂正などについても、自治体ごとでなく、全国一律に可能となるよう国で法令を定めたり、国の法令によって一定の「新元号への移行期間」を設けたりするなどの方法で対処できないだろうか。関係省庁が事前に完璧な対応をと願う気持ちはよく理解できるが、それによって元号の本質がゆがめられてはなるまい。(ももち あきら)