【オリンピズム】嘉納治五郎と幻の東京大会(13)国威発揚に利用されたベルリン - 産経ニュース

【オリンピズム】嘉納治五郎と幻の東京大会(13)国威発揚に利用されたベルリン

「友情のメダル」。西田と大江が、互いのメダルを半分ずつつなぎ合わせて作った
 10万人収容の巨大なメインスタジアムが建設され、競技場の整備も進む…。3500人収容の選手村も完成していった。先端技術の導入にも積極的で、陸上競技や競泳では着順を正確に計るための写真判定装置も取り入れられた。総統のヒトラーが、世界にその威信と正当性を示す好機ととらえた五輪、それが1936年ベルリン大会だった。
 こうした準備状況を目にした嘉納治五郎は「オリムピック精神も又経費の濫費の為に失はれるに至るのであらう事を恐れる」と述べ、政治利用や大会の肥大化に警戒感を示す。だが、そんな懸念とは裏腹に、ナチス政府は五輪を宣伝の場と位置づけて利用していく。媒体として重視されたのは記録映画だった。新進の女性監督、リーフェンシュタールを抜擢(ばってき)し、協力を惜しまずに撮影を支えた。スポーツの美と力をテーマに、撮られた「オリンピア」には選手が抱える孤独、不安といった内面と、躍動感あふれる肉体の動きが見事に融合され、鮮やかに切り取られた。その工夫を凝らした映像は、ドイツを快く思っていない各国の映画関係者からも絶賛を得る。また、いまに続く聖火リレーが初めて採用されたのもこの大会からだった。
 政治的に利用され、国威発揚の手段とされた五輪。嘉納はこうした状況を冷静なまなざしで見つめ、改めて柔道の理想を語る。
 「オリンピック・ゲームズはかなり強いナショナリズムに傾いており、競技柔道を発展させることはその影響を受ける。柔道は芸術、科学として、いかなる外部からの影響(政治的、国家的、人種的、財政的など)にも拘束されない。すべてが終局の目的である人類の利益へ向かうべきものである」
 一方、40年大会に「東京」が立候補していた日本は、ベルリンに大選手団を送っていた。その数は249人(役員70人、選手179人)。開会式前日の7月31日に東京開催が決まり、大会への関心が高まる中、選手たちは期待に応え、目覚ましい活躍を収めた。
 獲得したメダルは金6、銀4、銅10の計20個。後に「友情のメダル」と呼ばれるのは西田修平と大江季雄の陸上棒高跳び。5時間を超える死闘の末に、2位と3位を分け合い、順位決定戦を行わなかったことから「ともに2位」との思いでメダルを分け合った。競泳では200メートル平泳ぎで前畑秀子が優勝し、競泳女子初の金メダルに輝く。ラジオ実況したNHKの河西三省は「前畑がんばれ! 前畑がんばれ!」「前畑リード、リード」と繰り返し、白熱したレースを伝えた。
 語り継がれる選手が数多く輩出されたベルリン。その中でも“伝説的な選手”が陸上界に現れる。ジェシー・オーエンス(米国)だった。8月3日、10万人の観客が見守る中、スタートラインに立った黒人選手は100メートルを疾走し、世界タイ記録で優勝を遂げる。その後も走り幅跳び、200メートル、400メートルリレーを制し、史上初の4冠を達成した。人種差別政策を取るヒトラーの鼻を明かした形だが、帰国後、米国での祝賀会では客用エレベーターの使用を断られ、貨物用に乗らざるをえなかったという。=敬称略(監修 真田久筑波大教授 構成 金子昌世)